月別アーカイブ: 6月 2013

【歳時記と落語】暑いときには……~「青菜」~

暑い日が続きます。夏至から半夏生の間、これは前にもお話しましたように、ちょうど田植えの時期に当たっております。

暑い盛りにはどうしても冷たいものに手が伸びますが、そうやって身体を冷やしてばかりおりますと却って身体を壊すてなことがようあります。江戸時代には甘酒を夏場に飲んだんやそうです。蒸し暑いことで知られる中国の四川省や重慶の名物料理が辛いのも同じような理由です。栄養をしっかりとった上で、発汗作用で涼しさを感じて乗り切ろうというわけですな。
エアコンもない、冷蔵庫もない、ものを冷やすというても精々が井戸の中につけておく程度の時代に考えられた知恵です。
江戸時代頃から夏の暑気払いに飲まれたお酒に「柳陰」というのがあります。「本直し」とも言いますが、味醂に焼酎を加えて飲みやすくしたもんです。味醂は調味料としてもっぱら使われますが、元々は甘いお酒で、江戸時代には高級なもんやった、それが伺えるのが、落語の「青菜」です。
植木屋があるお宅で一仕事終えたところで、旦那から酒の相手をしてくれと言われます。そこで出されるのが、柳陰。
「昔は大名酒いうて、お大名より上がらなんだもんで。それを頂戴できる、結構なことで」
肴に出てまいりますのが鯉の洗い。植木屋、わさびを知らんもんですから、盛ってあるのを丸ごと口へ放り込んでしまします。
そこで旦那が口直しと青菜を勧めます。奥さんを呼んで、「堅とぉ絞ってゴマでも振りかけて持ってきたっとくれ」
暫くしますと、奥さんがやってきまして、
「あの、旦さん。鞍馬から牛若丸が出でまして、名も九郎判官」
「何じゃ……? ほぉ、義経、義経」
菜も食らうてしもうてない。よしよし。という隠し言葉です。植木屋とはいえお客の前ではっきり「無い」と言うて、旦那に恥をかかすのを憚ったんですな。
これに感心しました植木屋、家へ帰って真似をしようと考えます。焼酎を柳陰に、おからを鯉の洗いのつもり。奥の間なんてもんはおまへんので、嬶を押入れに入れます。そういたしまして、風呂へ行こうと誘いに来た友だち相手に、旦さんの真似を始めます。
「おう、風呂行こか」
「あぁ、植木屋さん、植木屋さん」
「何言うとんねん。植木屋はお前や。俺は大工や」
旦さんがいうた通りにやっていきます。どうしても隠し言葉がやりたいんです。
「あんた、青菜は食べてか?」
「要らん」
「あんた、青菜は食べてかぁ?」
「要らんちゅうねん」
「要らんでも食べる言うてぇ~」
どうにか食べると言うてもろうて、「奥や、奥や」と呼びます。
「はい旦さん」
「び、ビックリしたぁ~。お咲さん留守かと思たら、今まで押入れ入ってたんか?汗流れ出たあるがな……、何か言うてるで」
「あの、旦さん。鞍馬から牛若丸が出でまして名も九郎判官、義経」
全部言うてしまいよった。仕方ないので植木屋さん、
「ううん……、弁慶……」

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「エオラス号」救出に思う。~太陽の飛行艇~

自衛隊が「宮城県金華山(きんかさん)南東方沖における人命救助に係る災害派遣について(最終報)」を発表している。ニュースキャスターの辛坊治郎、全盲のセーラー岩本光弘の救出についての報告だが、あっさりしたものだ。
世間的には救助された両氏の知名度から騒がれているが、自衛隊にしてみればいつもの救助活動だからだ。

救助された両氏への批難も大きいが、経歴を見る限り、素人の火遊びという感じではない。運が悪かったと言った方がいいのではないだろうか。
なぜなら、今回投入された飛行艇は一機目も二機目の最新鋭の新明和US-2だった。波高3メートルでも着水可能という世界最高の性能を誇る。自衛隊の練度の高さはもとより言うまでもないだろう。
それが着水できなかったのだ。当時の荒天ぶりがうかがわれようというもの。

新明和US-2は、戦中の傑作飛行艇「二式大艇」こと川西「二式飛行艇」の遺伝子を受け継ぐ、日本が世界に誇る飛行艇だ。
US-2の前身は新明和US-1A。まさに「二式大艇」復活を期して開発された、水上機大国日本を代表する新明和(川西飛行機)渾身の機体だった。
そのUS-1A運用当時から、実は自衛隊は東シナ海などでの海難救助で活躍していた。領海外での活動でもあるので、長らく知られていなかったが、他国の船舶は勿論、飛行艇も近づけない状況で、多くの人命を救ってきた。
しかし、それを可能にするには、機体の性能もさることながら、厳しい訓練に裏付けられた高い練度が必要。当然訓練でも危険性が高いものが多く、それが隊員の死亡事故に繋ががったこともある。しかし、それは紙一重の状況で行っているものであるから、再発防止を求めることは必要だろうが、いたずらに批難されるべき類いのものではないだろう。

今回の件にしても、事故の状況をよく調べてから、両氏とスタッフに批判しなければならないだけの甘さがあれば、好きなだけすればいいだろう。

しかし、覚えておかなくてはいけないのは、たとえ自業自得と言われる海難事故だったとしても、US-2とそれを駆る隊員達は、必ずそこへ行くと言うことだ。
太陽の飛行艇は、雲を破って現れ、そして荒れる海から、希望とともに陽が昇る如くに飛び立つだろう。


(ReinaJapanさんの映像)


(Teruya Tsujiさんの映像)

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【歳時記と落語】夏至と蛸芝居

6月21日は、一年の内で昼間が最も長い日「夏至」ですな。冬至と比べると四時間以上長いそうです。暦の上では夏の盛りということになりますが、実際には梅雨ど真ん中です。伊勢・二見浦の夫婦岩では、日の出と共に禊をしたします。太陽のエネルギーを身にいただこうというわけですな。そういう発想は洋の東西を問いません。ヨーロッパ、特に冬の長い北欧でも、同様に夏至に盛大なお祭りが行なわれます。
さて、関西特に大阪ではこの夏至から半夏生の間に蛸を食べるという風習があります。ちょうど田植えの時期と重なります。蛸のようにしっかり根を張れというゲン担ぎかも分かりませんな。
蛸といいますと、明石が有名ですが、大阪は目の前の海で採れるんで馴染みのある食材です。この蛸が大活躍する噺があります。これはたぶん東京ではやる人はないんやないかと思います。と言いますのもこれが所謂「芝居噺」やからです。
昔から蛸に当たったら黒豆を三粒食うたらええと言いました。まじないみたいなもんですが、病は気からとも言いますから気の支えくらいにはなって、効いたような感じはしたんでしょうな。しかし、どんな薬も効かんというのが「恋わずらい」と「●●道楽」と言うやつ。ここにございましたあるお店、旦那から丁稚に至るまで、えらい芝居好きで、なんぞきっかけがあると直ぐに芝居の真似事を始めるという始末。丁稚の定吉・亀吉、表の掃除を言いつけられれば「三番叟」をはじめて怒られ、亀吉は中庭、定吉は仏壇の掃除を言い付かりますが、今度は定吉、位牌をつこうて芝居を始める。これも怒られてぼんの御守を言い付かりますと、今度は「都落ち」の芝居、そこを亀吉に脅かされて、ぼんを放り出してまた怒られる。
ふと表を見ますと、ちょうど魚屋がやってくる。通りを大向こうに見立てて、声をかけますというと魚屋まで芝居の真似を始めます。
旦那は魚屋から鯛と蛸を買いますと、蛸の方は上からすり鉢を伏せておいておきます。後で酢蛸にしようというわけですが、酢を切らしているというので、定吉を買いにやらせますと、台所には蛸が残された。
すると、この蛸、酢蛸にされてなるものかと、足を二本、すり鉢の下へグッと掛けて、ボチボチ持ち上げ始めよった。足を二本前へ回しましてグッと結びますと、これが丸絎(まるぐけ)の帯、連木(れんげ)、すりこぎですな、これを取って腰へ一本刀、布巾で頬被り、目計り頭巾というやつです。傍にあった出刃包丁を取り上げますと、台所の壁の柔かいとこからボチボチ切り破りだした。家中芝居好きやと買うた蛸まで芝居をいたします。
物音に気づいてやってきた旦那、素直につかまえりゃあええんですが、根っからの芝居好きですから、芝居がかりでそおっと蛸の後ろへ回って、レンゲの端を押さえます。
すると、蛸が墨を吹きよったもんですからあたり一面真っ暗。「だんまり」という趣向です。
蛸がぐいっと腕を伸ばしますと、旦那の鳩尾で命中。旦那は目を回して倒れてしまう。
蛸は六方踏んで逃げてしまいよった。
そこへ酢を買うた定吉か帰ってきます。
「定吉、黒豆三粒持って来てくれ」
「どないしなはった?」
「蛸に当てられたんや」


東住吉高校OB落語会に行って来た

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芸能文化科

今日は天満天神繁昌亭で開催された第二回東住吉高校OB落語会に行ってきました。東住吉高校には、府立としては珍しく芸能文化科があります。芸能文化科と言っても、ご存じない方がイメージされるものとは随分違うと思います。関西を中心とした伝統芸能をしっかりと学ぶ学科です。
1993年の設立当時は日本初、今でも相当希少な学科じゃないかと思います。
来年度から大阪府立高校は学区が廃止になりますが、東住吉高校の芸能文化科は特殊な学科なので、以前から府下全域から受けることができました。
残念ながら、できたのは私が卒業した後でした。

米朝一門へ

同科には上方落語の授業もあり、長らく四代目林家染丸師匠が講師を務められていました。
そこで学んだ生徒の中から、何人かがプロの落語家に成っています。
しかし、染丸師匠が「卒業生を弟子にとらない」方針だったそうで、芸能文化科を卒業後に落語家になった4人は米朝一門に入門しています。

五代目桂米團治に弟子入りした團治郎(50期【芸能文化科12期】)。
故・桂吉朝の弟子になった三人、しん吉(40【2】)、吉坊(43【5】)、佐ん吉(45【7】)。

今回高座に上がったのは、この4人と、その大先輩である、三代目林家染二(23)。偶然ですが、染丸師匠の総領弟子になります。
因みに私は、染二師匠としん吉さんの間の32期です。

今回の番組と、感想

番組は團治郎「軽業」、佐ん吉「代脈」、しん吉「崇徳院」、染二「皿屋敷」、吉坊「小倉船」。
奇しくも、旅噺に始まり、旅噺に終わるという構成になりました。「皿屋敷」も伊勢参りから帰ったところから始まりますので、「東の旅」の番外編と言えるかも知れません。

團治郎「軽業」:183cmの大型新人。発声は思いの外良かったが、何度か言い直す場面があった。ブレスの問題だろうか。ネタの方は、くどさを避け、「とったりみたり」のくだりは省略していた。
佐ん吉「代脈」:テンポもあっていいのだが、なぜか聞いていて落ち着かない。多分ほんの僅かに私のテンポよりせわしいのだと思う。
しん吉「崇徳院」:芸能文化科初の噺家。手慣れた感じと言えばいいのか。余裕が感じられる語り口だが、どこかで聞いた感じがすると思ったら、どことなく師匠の吉朝に似ている。
染二「皿屋敷」:アホをかなりオーバーに演じていた。ここはニンに会わせたというところか。ばかばかしい噺なのでそれはそれでいい。
吉坊「小倉船」:別名「竜宮界龍の都」。前半の船でのばかばかしいやりとり、後半竜宮での芝居ががりと、大きく性質が変わる大ネタ。芝居好きの吉坊らしく、後半の動きはさすが。

おまけに

今回は、お茶子の女性も卒業生だということ。普段も昼席で偶に出ているらしい。
それに、今年は、中間試験の最終日とうことで、現役の芸能文化科の生徒達も招待されて来ていた。去年は試験の最中になってしまったため、呼べなかったそうだ。

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【歳時記と落語】父の日――親旦那の気苦労

6月の第三日曜は「父の日」ですな。始まりは1909年、アメリカのワシントン州スポケーンやようです。ある女性が、男手一つで自分を育ててくれた亡き父への感謝を込めて、牧師さんに礼拝を行なってもろうたのがきっかけやということです。

一方、「母の日」は1870年から始まってますんで、男親というんは女親に比べたら陰が薄いんでしょうな。その表れか、アメリカの調査では、母の日のプレゼントに使う金額の子ども一人当たりの平均が123.89ドルやのに対して、父の日では90.89ドルと四分の三程度なんです。それでも父親は本心からプレゼントに喜ぶんでしょうが、研究者は「もともと期待のハードルが低いので満足度が高くなる」と分析してるんやそうで。なんや嬉しいような悲しいような話ですな。

落語の方で父親というと、「桃太郎」「初天神」「真田小僧」のように、ひねた子どもにやり込められるのんか、「七段目」「たちきり」「茶屋迎え」のように道楽息子に悩まされる親旦那が多いですな。番頭さんが親旦那に代わって意見することも多いですが。ところが、中には道楽息子の上手を行く旦那もいはります。

あるお店の旦那、芸者に入れあげている息子を呼び出して、意見をします。しかし、息子の方も負けてません。火事にでも会うて、身代失うたとして芸者やったら軒付けでもしながら江戸へでも旅して、その身を一時、葭町か柳橋にでも沈めて、それを元手に商売を、てな事にもなるが、年取った親父なんぞ高津の黒焼き屋にも売れんという始末。

喧嘩にでもなろうかというところを番頭が止めに入って、親旦那に、ご気分直しに万福寺さんでありがたい説教でも聞いておいでになりましたらどうですか、と薦めます。

「よう言うてくださった。いやいや、このうえ頼りにするんは阿弥陀さんばかりじゃ。ありがたいお説教でも聞ぃて後世を願うとしましょ」

数珠を手に、おさまって店を出ます。

ところが親旦那、表で出るなり数珠は袂へ放り込んで、万福寺さんも尻目に殺して南へ南へ。戎橋を渡りますと難波新地、いつに変わらぬ陽気なこと。

「この里ばかりはいつ来ても賑やかなもんじゃ。在るとも無いとも分からん地獄とか極楽とかいうのを当てにして後世を願うよりも、これがこの世の何よりの極楽じゃ。若いもんが来たがるのも無理はない。しかし、わしが使う、せがれが使うではうちの身代もたまったもんじゃない。いっそ、あいつ死んでしもたらええねやが、風邪ひとつ引いたことがないほど達者なやつじゃ。たった一人のせがれ見送ろと思たら、並大抵のこちゃないわい」

実は親旦那、若旦那より二枚も三枚も上手の遊び人でございます。

なじみの御茶屋へ行きますと、間の悪いことにいつもの二階の奥の部屋がふさがっていて、表の間しか空いてないという。奥が空いたら直ぐに換えるという約束で上がります。

綺麗どころが揃いますと、いつもの遊び「狐釣り」、目隠し鬼みたいなもんです。

一方の若旦那、番頭を騙して店を出ますと、やっぱり南へ南へ。すると、二階で「狐釣り」なんという古風な遊びをしている年寄りがいるのを見かけます。

店の女将に、二階の客と一座がしたいと持ちかけますが、年寄りの隠れ遊びやいうてはるんで、と断られます。そこで若旦那、「今日の勘定、皆というたら失礼な。半分もたしもらうということで」と持ちかけます。

「どやった」

「はじめ堅いこと言うてはりましてんけど、いまの会計の話したら、みな持ってもろても失礼なことはない、と」

「ほぉ、そこらうちの親父によう似てるわ」

そのまま上がっていったら座が白けるんで、若旦那を仔狐にして、さんざんホタエたあとで目隠しを取ってご対面という趣向で、二階へあげます。

釣ろよ、釣ろよ、信太の森の、仔狐どんを釣ろよ

やっつく、やっつく、やっつくな

釣ろよ、釣ろよ、信太の森の、親旦那を釣ろよ

やっつく、やっつく、やっつくな

…………

「はいはい、どこのお方か存じませんがこんな年寄りの隠れ遊びが気に入った、一座をしてやろうとは、ありがたいことで。どうぞ今後とも――、こ、これッ、せがれやないか!」

「あっ!あんた、お父っつぁん」

「せがれか。……必ず、博打はならんぞ」

米朝一門で故・桂吉朝の弟子の吉弥は、この噺のマクラでよく、次のようにいいます。

「私らも身近に若旦那と言われる方がいましてねぇ。米朝師匠も言うてはりました。落語で分からんことは、回りに置き換えて考えるように、と。こない身近にあるとは思いませんでした。えー、ですから今から見ていただくのは、ほぼドキュメントと……」