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「中国の古典ファンタジー小説を日本語訳で読む」に参加してみた

2017年6月読書会・番外編「中国の古典ファンタジー小説を日本語訳で読む」という立命館孔子学院で行われたイベントに参加してきた。

元々の読書会は、20世紀前半の中国の短編小説を日本語で読むというものだが、今回は番外編ということで、元末明初の『剪灯新話』から「金鳳釵記」(「鳳凰の金かんざし」)が題材。

当日訳文を配布する(これは明治書院のものだった)ので「準備や予習の必要はありません」ということだが、私はそういうことができない性分なので、それなりに準備はしてみた。

さて、『剪灯新話』は、「牡丹灯籠」の原話を収めることでも有名である。

実際、朝鮮の『剪灯新話句解』などが日本でも広く刊行され、江戸時代の文学に大きな影響を与えた。中でも「金鳳釵記」はよく取り上げられた作品のひとつである。

江戸時代の貞享4年刊になる『奇異雑談集』所収「妹の魂魄妹の体をかり夫に契りし事」は、この「金鳳釵記」の翻訳であるし、浅井了意の『伽婢子』所収「真紅撃帯」は翻案である。より新しいところでは、田中貢太郎の翻案などもあり、これは青空文庫で読むことができる。『奇異雑談集』所収作と『伽婢子』所収作は、高田衛 編・校注『江戸怪談集』(岩波文庫)に入っているので、これも入手は難しくない(たまたま別の要件で既に入手済みだった)。

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訳文は平凡社東洋文庫のものが手元にあるので、これを持っていくこととして、本文は読まずに解説のみ目を通す。

次に原文であるが、ネットで検索すると、たまたま早稲田大学蔵の『剪灯新話句解』の和刻本が見つかった。慶安元(1648)年、京の林正五郎の後印、「逍遥書屋」の印が入っている。つまり坪内逍遥旧蔵のものである。ただ、これだと字が判別しづらい部分や文の切れ目に迷う部分もあったので、東京大学東洋文化研究所所蔵漢籍善本全文映像資料庫から中國短篇小說集所收の「金鳳釵記」を入手して参考にした。

流石に明代の文章だけあって、セリフや説明など詳しく書かれているが、ガチガチの文言であること、年代、場所、人物の説明から始まり結語で終わるという基本的なスタイルなどは、六朝志怪・唐代伝奇以来の伝統を継いでいる。

訳文の解説や『句解』の中にも書かれているが、「金鳳釵記」はその話の大筋そのものも、唐代伝奇の陳玄祐「離魂記」に拠っている。この「離魂記」は、元の鄭光祖の雑劇倩女離魂』の題材となっているし、宋の禅僧・無門慧開の手になる公案集である『無門関』にも「倩女離魂」と題して取り上げられているから、『剪灯新話』成書時でもかなり人口に膾炙していたはずである。

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この「離魂記」からの系譜の中で、「金鳳釵記」に特有なのが、死んだ姉が妹の体を借りる、という設定である。

ヒロインである興娘が死んだ後に、戻ってきた許嫁・興哥の元をある夜、興娘の妹・慶娘が訪れて上を結ぶ。夜になると慶娘が訪れて明け方に帰るということが一月半ほど続き、二人は駆け落ちする。一年の後、慶娘の提案で実家に戻ることにする。興哥は近くで船に興娘を待たせて実家に詫びを入れに行く。すると慶娘はこの一年病に伏しているという。人をやって船を確かめると、そこには誰もいない。そこで突然慶娘が起き上がり、興娘の声音仕草で、冥界の情けでこの一年興哥と夫婦として過ごさせてもらったが期限か来た。どうか妹を興哥と添わせてほしいと訴える。

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倩女離魂」までは一人の女性が二人に分かれて、一方は男ともう一方は実家で病の床に伏しているのである。

興娘が慶娘の姿をずっと借りていたという解釈が一般的だが、果たしてそうかと思った。興哥は十五年興娘に会っていない(戻ったときにはすでに棺に納められている)。そして興哥以外に、情を交わしたこの女を見た身内はだれもいない。そして一般に女性がそうそう男に姿を見せたいということから考えて、興哥は慶娘とほとんど会っていないはずである。実際、興哥は名乗られるまで夜中に尋ねてきた女が誰だかわかっていない。

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だとすると、慶娘だと名乗った女が実は興娘そのものでも分からないのではないか、と思った。

それまでの作品では、駆け落ちした女は臥せっていた女と一つに重なるのに対して、「金鳳釵記」にはその場面がないのもそう考えれば納得がゆくし、無理はない。もっとも、慶娘が少なくとも駆け落ちから1年の間は、病で臥せっているので、何らかの形で興娘がこの世に現れるのに慶娘の「力」を借りていることは確かであろうが、同じ姿をしていたと考える必要は必ずしも必要ないのではないかと思う

もちろん、従来通り、興娘が慶娘にとり憑き、その後「離魂」した、或いは慶娘の姿を借りていたとしてもおかしくはない。

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しかし、この女性が積極的で主導権を握り、男は状況に流されるというのは、才子佳人小説の伝統的な構図と言えばそうなのかもしれないが、当時の文人にとっては理想的な「恋愛」の姿であったのだろうか。それとも妓女とのやり取りの投影と言われるように、そういう気風のいいお姐さんに振り回されるのが文人の常だったのだろうか。

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さて、古典小説らしく典故を踏まえた表現はたくさん出てくるのだが、「閉籠而鎖鸚鵡、打鴨而驚鴛鴦」というセリフがある。鳥づくしの喩えだが、これについて今回の読書会の参加者から、タイトルに絡めているでしょうかという問いかけがあったが、それはそうした配慮があったと考える方が自然ではないかと思った。他にも表現は色々あるわけで、その中から鳥についての言葉を2つ持ってきたのは、金鳳釵との関連を考えなくては説明がつかない。

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それから、最後近くで、興娘の憑依がとけた慶娘が、「慟哭而仆于地、視之、死矣」とある「死」だが、「死」という字は、興娘の憑依した慶娘のセリフ中の「妾之死也、冥司以妾無罪」というところにしかなく、他の場面で興娘に対して「死ぬ」という意味で使われているのは地の文・セリフともに「終」であり、興哥はセリフの中で父母の死に対して「卒」を用いている。一応、身分に拠って使い分けがあり、一応年少の場合は「死」を用いるというのはあるが、興娘と慶娘で使い分ける必要があるのはどうかは私は詳しくはないので分からないが、流れから考えて、ここは「気を失った」と解する方がいいのではないかと思った。


とりとめはないが、思いついたことを書き連ねた次第である。

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