月別アーカイブ: 7月 2013

【歳時記と落語】夏の土用の千両みかん

 立秋前の18日間が夏の土用ですんで、今年は丑の日が7月22日と8月3日と二回あります。段々と不漁になって値段も上がってますんで、何も無理して食べる必要もないとは思いますが、これも気のもんですんで、なかったらないでなんとのう寂しいもんです。ほんまにウナギが美味しい季節やないそうなんですが、まあもう旬という感覚ですな。
 旬のもんというと、ウナギは人気で高うなりますが、たいていの場合はようさんとれまっさかいに値が下がります。一番ええ時期が一番安い、買う方にとってはありがたい話ですが、売る方は高いう売りたいのが人情です。先日、「ワールドビジネスサテライト」という番組の「旬をずらして需要をつかめ!」と題した特集で。愛媛県愛南町のみかん生産・販売会社の話をやってました。夏が旬の「河内晩柑」を冷蔵保存して、柑橘類の少ない秋に売るというんですな。値段は旬の1.5倍から2倍になるんやそうです。
 さて、落語の方に参りましょう。夏の土用のお噺はといいますと、「千両みかん」というのがあります。
 さる船場の若旦那が、なんやわけのわからんような病気になって明日をも知れぬということのなった。親旦那の言いつけで、番頭がようよう聞き出してみるとみかんが食べたい、というんです。一種の気の病ですな。この出だしは恋わずらいの「崇徳院」によう似てますな。
 それを聞いた番頭どん、なんやそんなことですかいな、この部屋みかんで埋めてご覧に入れますと、軽うに請け負うて、親旦那に報告したします。
「番頭どん。こなた今日、幾日じゃと思てなさる?
「幾日じゃと思てなさるて、六月の二十四日」
「さぁ、土用の最中じゃ。どこ探して蜜柑がある?」
「あっ!」
「あっ、やないがな」
 さあ、番頭は青うなって店を飛び出しますが、みかんというたら冬のもんですな。あろうはずがおまへん。散々探した末に、天満の赤物市場に年中みかんを囲うてる店が一軒あると聞いて、最後の頼みとやってまいります。赤物市場というのは青物市場の間違いやないかとお思いかもわかりませんが、昔は野菜を青物、果物を赤物というたんです。
 蔵を見てもらいますと、陽気が続いたんでみな腐って汁が流れ出ております。一番ましな箱を開けてみますと、たった一つだけ残っておりました。事情をしった店の主はタダでええと言いますが、番頭も高いのは承知、金に糸目はつけしまへんと返します。すると店主、千両の値をつけます。驚く番頭に店主は言います。
「手前ども、長年この天満で商いはいたしとりますが、人さんの足元に付け込むような商いだけは、ただの一度もいたした覚えございません。手前ども、毎年腐んのを承知でこうして蜜柑を囲います。みな腐らせてしもうたら、今年も暖簾に元を入れた、と思うてあきらめますが、たとえ一つでも残りましたら商人冥利、一文も損はよういたしまへん。千箱のうちの百箱、百箱のうちの十箱、十箱のうちのひと箱、ひと箱の内から、たとえ一つでも残りましたら、千箱の値をみな、掛けさしてもらいます。蜜柑一つ千両、高いことはございませんやろ?」
 言い分はもっともですが、千両はだせんと、店へ帰って親旦那に報告いたしますと、息子の命が掛かっております。「千両、安いもんや」と番頭に千両箱かつがせてみかんを買いにやります。
 持って買えって若旦那の前で向いてみますと、十袋入っております。嬉しそうに食べた若旦那、
「おいしかった。番頭どん、おおきありがと。わたいの病気はこれですっかり治った。三袋残ったある。ひとつはお父っつぁん、ひとつはお母はん、あとのひと袋は番頭どん、おまはん食べとくれ」
 手渡されて廊下に出ました番頭、
「蜜柑一つに千両、これだけでも三百両や。十三の時からご当家へ奉公に寄せてもろて、来年は暖簾分け。その時出してもらえるんが、よう出してもろて五十両。二十年の汗と油が五十両、この蜜柑三袋が三百両。えーい、ままよっ!」
と、番頭め、蜜柑三袋持って、どか行てしもた。

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【歳時記と落語】てんてん天満の天神さん

 7月23日は大暑です。一番暑い頃という意味なんですが、日本では実際に暑さのピークはもうちょっと遅れて、暦の上では残暑の頃にやってきます。
 大阪では、この時期はなんというても、鱧と天神祭りです。鱧は京都も同じで、これがないと夏という気がしません。大阪湾では鱧が取れますが、この暑い中を京まで運んでもまだ生きてるというくらい生命力が強いんやそうで、貴重な食材やというのと、「精がつく」というので食べるようになったらしい。しかし、他所とくに東の方ではとんと食べまへん。小骨が多いんで骨きりをせなならんというのが面倒なんでしょうな。しかし、昨今シラスが不漁で鰻がえろう高なってますから、同じように精がつき、蒲焼も美味い鱧を全国的に食べるようにしたらどないでしょうな。
 天神祭りは7月24日が宵宮、25日が本宮で、偉い人で賑わいます。始まりは天暦5年(951年)といいますから、もう千年以上続いている勘定になります。
 祭りの盛り上がりでも分かるように、大阪の人間は天神さんが好きなんですな。古い洒落にこんなんがあります。
「天神さんの賽銭は、硬貨の方がええそうな」
「なんでや」
「天神さんはシヘイが嫌いや」
 菅原道真さんは藤原時平との対立に敗れて太宰府へ流されました。その「時平(シヘイ)公」と「紙幣」の洒落ですな。
 落語でも「狸の賽」のサゲが天神さんですし、「質屋蔵」もそうです。
 ある質屋の蔵に怪があるという噂がたって、このままでは商売に関わるというので、番頭に命じて確かめさせようとします。心細いもんですから助っ人に出入りの熊五郎を呼びます。ところが、いざとなってみると、二人とも腰を抜かしてしまう。旦那がやってきて蔵を開けてみると、小柳繻子の帯と竜紋の羽織が相撲をとっている。と、隅の方にあった箱が勝手に開いて、中から掛け軸が一本転げ出ますというと、壁へさして這い上がり、それへ勝手にス~ッと掛かりました。
「おっ、あれ? あれあれ? あれは角の四平(しへぇ)さんから預かってる天神さんの絵像やないかいな」
 呆気に取られております主の目の前へ、絵像が抜け出ます。
 東風吹かば、匂い興せよ梅の花。主無しとて春な忘れそ
「そちゃ当家の主なるか」
「へえ」
「質置きし主に、とく利上げせよと伝えかし。どうやらまた、流されそうじゃ」
 さて、この暑い時期に昔、大阪の新町では大夫の道中があったらしいんですな。あれは大概花時にやるもんですが、どういうわけか天保時分に変わって明治になってまた元に戻ったんやそうで、そんなわけで幕末の一時期は、夏に道中があった。「冬の遊び」がちょうど、その時分の噺です。
 大夫さんのことを吉原では「おいらん」と言うた。「おいらの大夫さん」ということやそうで。これが京の島原では「こったいさん」になるんですが、これも「こちの大夫さん」ということやそうで、意味は同じなんですな。
 その大夫の道中というやつはどこでもそうですが偉い金がかかる。大阪でそんなもんに大きな金を出したんは堂島の直(じき)、米相場の相場師です。
 ある茶屋へ、堂島の直が友だちを連れてやってきまして、馴染みの栴檀大夫を呼べといいます。ところが、大夫は道中の最中、しかも傘止めです。
「そんな無茶おっしゃらんと。今、知盛で道中したはりまんねんで」
「せやから、その知盛の金はどっから出てんねん、ちゅうねん」
 新町の道中は芝居の扮装やらしてたらしい。その金を出してるのに挨拶がなかったんで、嫌がらせをしてるんですな。
 堂島の機嫌を損ねたんでは商売にならんというんで、栴檀太夫を連れて戻ります。
 やってきた栴檀太夫、知盛の扮装ですから綿入れを八枚ほど着てますが、汗一つかいてない。
 すると直、
「恐れ入った。栴大への心中立てじゃ。皆、冬の着物に着替え」
 と、綿入れに着替えるは、火鉢は持って来さすは、一転して我慢大会の様相になります。
 米相場というのは一晩でびっくりするように儲かることもあれば、一転一文無しになるようなこともある。そうしたことから、他の大阪商人とは違うカラっとした気質が生まれたんやそうで。「堂島気質」というやつですな。
 みんな冬の格好してるとこへ遅れてやって来た幇間の一八、調子のええことを言いいますが、踊らされるは懐に懐炉は入れられるはで、たまらんようになって着物を脱ぎ捨てると庭へ飛び降ります。
 井戸のそばへ行くと頭から水をかぶった。
「一八、何じゃい、その真似は?」
「へぇ、寒行の真似をしとぉります」

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【歳時記と落語】土用の丑の日、ウナギの由来

22日は土用の丑の日。この日には、皆そろってウナギの蒲焼を買い求めます。日本人は世界的に見てもかなりのウナギ好きなんやないかと思います。うな重
蒲焼をご飯にのせると「うな丼」或いは「うな重」のできあがりです。ウナギの香ばしい香りとタレのしみたご飯の甘みが何とも言えまへんな。
しかし、近年はシラスウナギが不漁で養殖ウナギもえろう値上がりしてますな。それというのも、環境の悪化のみならず、ウナギの生態がよう分からず、完全養殖がでけへんという事情が大きいらしい。このあたりのことは、面白い記事がありますんで、そちらをご覧になってください。
さて、「土用丑にウナギ」という風習は、江戸時代の中期に始まったそうですが、夏バテ対策にウナギというのは、もっと昔から言われていたようです。
なんと『万葉集』に、

石麻呂に 吾もの申す 夏やせに よしといふ物そ むなぎ取りめせ
※「むなぎ」はウナギの古い呼び方

という大伴家持の歌が載っているんです。
それに、ウナギの骨は縄文時代の遺跡からも発見されているそうですから、日本人にとって最も馴染み深い魚の一つと言えるんやないかと思います。

ところで、なんで「蒲焼」て言うんでしょうな?とても蒲には似てしまへん。気になって調べて見ますと、「蒲焼」という言葉が初めて見えるのが、「鈴鹿家記」(1399年)という書物。
そこには、
「昔は鰻を長きまま丸で串にさして塩を付け焼きたるなり、その形川辺などの生たる蒲の花の形によく似たる故にかばやきと云いしなり」
と書かれています。
なんと、昔は丸ごと焼いて食べてたんです。
蒲の穂串に刺さったその様子が蒲の穂に似ているから「蒲焼」なんですな。
そういうたら、「蒲鉾」も元々は、竹の周りに魚のすり身をつけて焼いた形が「蒲の穂」に似てるところから、そう呼ばれたらしい。後に「板付蒲鉾」が出来て、それがもっぱら「蒲鉾」と呼ばれるようになって、元の「蒲鉾」は、「竹輪」になった。なんや妙な縁ですな。
さて、「蒲焼」はその後、ぶつ切りの付け焼きになった。1600年ごろの『大草家料理書』に「宇治丸(宇治川産のうなぎ)かばやきの事。丸にあぶりて後に切也。醤油と酒と交て付る也。又山椒味噌付て出しても吉也。」とあります。
今のように食べやすく開いてから串にさすようになったんは、江戸時代後期。幕末には、江戸の名物として知れ渡っていました。
1853年といいますから、ペリー来航の年ですが、『傍廂(かたびさし)』という随筆に、「昔は蒲焼もうなぎの口より尾まで、竹串を通して、塩焼にしたるなり。今の魚田楽の類なり。さるを、今背より開きて、竹串さしたるなれば、鎧の袖、草摺(くさずり)には似れど、蒲の穂には似もつかず。名儀は失へれど、味は無双の美味となれり。これはいにしへにも遙にまされり。わきてこの大江戸なるを極上品とせり。」とあります。
今お馴染みの「蒲焼」が登場したんは、ウナギと日本人の付き合いの中では随分「最近」の出来事ですな。

ウナギという魚は、殊料理法に関しては、えらい珍しい魚で、蒲焼ばかりで、他の料理法がほとんどおません。
ほなら他に食べ方はないんかというとそんなことはありませんので、ちゃんとあります。
江戸時代の料理書には蒲焼のほかにも、なます、さしみ、すし、山椒みそやき等が挙げられてます。もっとも、どれも今ではほとんど目にする機会はありませんが。
今食べられるウナギ料理というたら、きゅうりとウナギの酢の物の「うざく」、出汁巻で蒲焼を包んだ「うまき」、タレをつけずに焼いてわさびで食べる「白焼き」ぐらいですな。
それから焼き鳥のように部位ごとに串にさして焼く「串焼き」。これはかなり珍しい方ですな。
極めつけは「半助豆腐」。半助というのはウナギの頭のこと。その半助と豆腐、葱などを、酒、醤油、砂糖、みりんで味をつけた汁で煮込んだもんで、大阪の郷土料理です。本来捨ててしまうところで一品作ってしまう、節約を身上とする大阪人の真骨頂とも言える料理ですな。
しかし、「半助豆腐」が大阪にだけある理由は、節約精神だけやないんです。
関東風蒲焼は、背開きにて頭を落とし、等分に切って串を打ち、白焼きにした後、蒸してからつけ焼きします。
ところが、関西風は腹開きにして、頭をつけたまま串を打ってつけ焼きにします。
関東では真っ先に捨ててしまう頭が、関西では最後までついているんです。 実際、スーパーで売っている蒲焼も、関東では頭がありませんが、関西では「尾頭つき」の長焼きが主流です。
タレをつけて焼いてあるので、頭には味がしっかり染み込んでて、ええ出汁がでます。せやから、捨てるのはもったいないというので、「半助豆腐」ができあがったんですな。

簡単!「半助豆腐」(1人分)のレシピ
材料
・半助……6尾分
・豆腐……半丁
・長ネギ……1/2本(または九条ネギ……半束)
・水……300cc(美味しくするには出汁を使う)
・酒……100cc
・みりん……適量(50cc程度)
・薄口醤油……適量(50cc程度)作り方
材料を全部鍋に入れて、中火で10分ほど煮込むと出来上がり。
仕上げに粉山椒を振ると風味が増します。

しかし、考えてみると、白焼きと串焼き以外は結局基本は蒲焼ですな。現代の日本人にとってはウナギというたら蒲焼、そう言うてええでしょうな。それだけ蒲焼はウナギの食べ方として日本人の味覚におうた料理法なんですな。

さて、落語の方で「ウナギ」というと、先ほどの半助が「遊山船」に出てきますし、「鰻屋」という噺もあります。しかし今日は変わったところで、「鰻谷」をご紹介しましょう。昔はウナギは食わなんだ、という大嘘で、いかにも上方落語らしい噺です。

昔、大阪は長堀川の近くに、菱又という料理屋さんがございました。ここの主は大変に偏屈でございまして、魚がとれているときには店を閉め、シケで他がみな休業している時には、店を開けるという変わり者でございます。さて、何日も続く大シケがやってきて、他の店がすっかり休業してしまった頃を見計らいまして、この主人、店を開けましたが、当然魚なんか一匹もございません。これは困ったというので探しにでますが、あるはずもございません。そこでふと長堀川を見ますと、ヌルマという魚がたくさんわいております。ヌルマ、別名ノロともいいまして、当時、年まわりが悪いと見ただけで即死するという縁起の悪い魚とされておりまして、食べたものなどございませんでした。主人はこのヌルマを持って帰って、刺身にしたり煮物にしたりしてみますが、脂が多くて食べられたものではございません。そこでしょうゆとみりんで作ったタレをつけて、つけ焼きにしてみますと、これが食欲をそそるいい匂いがいたします。しかし、食べると死ぬというヌルマ、近所のものはだれも食べようとはいたしません。
さて、そこへ薩摩の侍たちと、当時浪花五人男といわれた荒くれもの連中とのケンカの知らせ。菱又の主人は飛んでいって仲裁に入ります。
この浪花五人男というのは実在の人間で、頭領が雁金文七、雷庄九郎、布袋市右衛門、安の平兵衛、極印千右衛門。これが後に白波五人男のモデルになりました。
仲直りにと薩摩の侍たちと浪速五人男を店に連れて帰ってもてなそうといたしますが、出すものがございません。機転を利かせた女房のお谷さんが、先ほどのヌルマのつけ焼きを自分の手料理といつわって出します。雁金文七もヌルマと知って顔色を変えますが、ここで食わねば男がすたると、強がって口へ入れます。するとこれがうまい。それもそのはず、実は今でいうウナギの蒲焼でございます。「うまいなお内儀(奥さん)」と言ったのが、薩摩の侍には「うまいなウナギ」に聞こえたというので、それから「ヌルマ」が「ウナギ」と名前を変えました。そして、菱又がはじめてヌルマを食べられるようにしたので、魚へんに菱又(日四又)で「鰻」という字ができあがりました。それを初めてお客に出したのが女房のお谷さん、そこで、店のあった辺りを「鰻谷」というようなったというわけでございます。

あんまりアホらしい話なんで、昔でも橘ノ円都師匠くらいしかやらなんだ。今は笑福亭生喬さんが持ちネタにしてはります。
しかし、鰻谷がなんでそういう名前かというと、実のところよう分からんらしい。『摂陽奇観』に「往古船場の地形は當代のごとく平地にあらず。所どころに谷のごとく高低ありしにや、今の道修町近世まで道修谷といふ名存せり。また島の内の鰻谷も舊き名にして谷間のごとき所にてありしぞと。」とあるんで、恐らく「鰻ように細長い谷間」或いは「鰻がようさん取れる谷間」ということやったんやないかと言われてます。

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【歳時記と落語】天貺節・晒衣節、始末の極意

 7月13日は、旧暦の6月6日にあたります。この日は中国では「天貺節(てんきょうせつ)」とか「晒衣節」と呼ばれます。
 この時期、客家の人たちは「仙人粄」(シエンニンバン)という食べ物を食べます。乾燥させた仙人草の茎や根を重曹で煮るとデンプンとペクチンなどが溶出するので、冷やすと黒褐色の寒天状に固まります。今でも香港や台湾などでお馴染みの仙草ゼリーです。身体の熱をとる働きがあるといわれており、夏にはぴったりのデザートです。
 話を戻しますと、「天貺節」の始まりは宋の大中祥符四年(1011年)やそうです。なんでも時の皇帝・真宗が夢で、天人が天書を泰山に降したのを見たんやとか。そこで泰山に天貺殿を建てて天から瑞祥を賜ったことを祝うた、これが始まりやそうです。
 それはお上の方の行事で、庶民にとっては着物を晒す「晒衣節」という方が通りがええ。この始まりは、周の武王が商(殷)の紂王を討伐した「易姓革命」に遡るともいわれまっさかいに、よっぽど昔のことです。周の軍勢が商の都・朝歌の南、牧野に進駐した時、えらい風雨に遭うた。季節は梅雨時、蒸し暑く、服にカビが生えでもしたら、病が流行る恐れもあった。しかし、6月6日には一転空が晴れ渡った。そこで武王は将兵に、着物を晒すよう命じたんですな。近隣の人々がそれに倣うて、この風習が始まったのだと言います。
 これは、ちょっと時期が早いですが、言うてみたら日本の虫干し(土用干し)にあたりますな。土用干しというと梅干が有名です。京都の北野天満宮では、毎年梅園で採った梅の実で梅干を作りますが、その土用干しも一つの風物詩ですな。
 その北野天満宮に、貞亨・元禄の頃、一人の男が現れ、聴衆を前にして辻咄を口演して人気を博します。これが上方落語の祖の一人、初代露の五郎兵衛です
 さて、その梅干と土用につき物のウナギ、両方登場するのが「始末の極意」です。
 ある男が始末、つまり倹約の上手に相談すると話が始まります。
「おまはん、この頃おかずにどんなもんやってんねん?」
「この頃は三度三度塩だけだ。これより安いもんは、まあおまへんやろ」
「塩なぁ、ええけど、あら減るやろ」
「え? 当り前でんがな。何ぞ減らんようなもんおますか?」
 そこで、上手の進めるのが梅干です。しかし、男も梅干は挑戦済み。
「あれ、あきまへんわ。朝皮食べて、昼は実ィおかずにしてね、晩は残った種ねぶって天神さんまで食たかて、一日に一個いうのは手荒いで」
 ところが、上手はもっと上手です。
「そんなお大名みたいな贅沢なことしたらあかんがな。梅干を食うてな、そんな大胆なこと誰に教わったんじゃ」
「食いまへんかい?」
「食いまへんかて、梅干は、ありゃ見るもんじゃ。皿に一個乗せて前へ置くな、ご飯とお箸持って、これをグッと睨むんねん。そうすると口ん中へ酸っぱい唾が湧くやろがな。それおかずにガサガサがさっと食うねやないかい」
 更にこの上手、前の家では隣の鰻屋の匂いをおかずに飯を食べておったんですな。すると、月末になったら鰻屋から勘定書きが来たというんです。
「勘定書きが?」
「そぉや。匂いのかぎ賃やがな。鰻の匂いはお客の気を引く商売もんやさかいに、横手から吸われたんでは商いにさわる。何ぼか払ろてもらいたい、とこない言いよった」
「ほお、鰻屋のオッサンも考えましたなあ。で、どうしました?」
「しかたがないよってに、鰻屋へ行て、小銭ジャラジャラジャラっとあけた」
「払いなはった?」
「まあ聞きいな。オヤジが取ろとするよってに、匂いのかぎ代やから音だけでよかろう、ちゅうてまたなおしてしもた」
「あんたの方が一枚上手だっせ」
 この後も、奇想天外な始末の極意が飛び出してまいりますが、今回はここまで。
 しかし、この土用の名物のウナギと梅干が食い合わせが悪いと言われてますのは面白いですな。医学的にはなんの根拠ものうて、むしろウナギの脂が梅干でさっぱりと流されてええんやそうです。

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桂米團治独演会(サンケイホールブリーゼ)

7月10日、毎年恒例になりました、夏の米團治独演会。一人で行って参りました。
演目は、

  • 桂二乗「癪の合薬」
  • 桂米團治「天災」
  • 桂団朝「短命」
  • 桂米團治「足上がり」
  • 桂米團治「代書」

「癪の合薬」は、一名「茶瓶ねずり」。二乗は「茶瓶」ではなく「薬罐」で演じていた。どちらが古い型かは残念ながら知らない。
テンポは良く、薬の切り替えや緩急の付け方も上手く、枕を聞いたときの若干の不安は杞憂だった。

「天災」は、粗暴な男が心学で「天災と思えば腹も立たない」と教えられて、それを隣へ行って同じようにやるという、「青菜」や「つる」などと同じパターンの噺。聞かせどころは、心学の紅羅坊名丸と粗暴な男と対比、男が天災にやや納得を見せるようになる過程。もう少し紅羅坊先生に重みが欲しかったような気もするが、これは好みの問題かも知れない。

「短命」は、ある御店のべっぴんの娘さんにもろうた養子さんが三人続けて早く亡くなったというのが出だし。男がそれをご隠居にいちいち説明してご隠居が納得する、さらに男に養子の早死にの訳を悟らせようとご隠居が何度も説明する、この繰り返しをどう演じるかか一つのポイントだと思う。くどいと感じさせてはいけないから。団朝はさすがに上手く演じていたと思う。サゲをやや嬉しそうに演じていたが、ここは解釈が分かれるところだろう。

「足上がり」は、商家を舞台にした芝居ががりが入る上方落語特有の噺。番頭が使い込んで遊んでクビになる(足が上がる)という、ちょうど「百年目」の対極にあるものと言える。
みどころは、何にも知らずに帰ってきた番頭が「四谷怪談」を演じるところ。さすがに米團治は歌舞伎好きだけあって、ここはお手の物。

「代書」は、先代米團治の手になる、昭和初めの新作落語。色んな噺家の手にかかって、古典の風格を持っている噺です。当代米團治は、襲名前の「小米朝十番勝負」以来、米朝師匠が受け継いだ原型に近いものを一貫して演じている。一番の違いは、済州島出身の朝鮮人が登場すること。だから多分テレビやラジオで流れると、抗議を寄せる連中も多いと思うので、生でないと見られないと思う。しかし、済州島から妹が紡績工場の女工にくる為の渡航証明申請を書いてもらいに兄がやってくるというのは、当時の状況を考えると相当にリアルで、先代は恐らく実際にそうした案件を代書屋として経験したのだろう。
今回当代は、その朝鮮人青年の後に、徳島の板東俘虜収容所に収容されたドイツ人と日本人女性との間に生まれたパン職人の青年を登場させている。恐らくこれは当代の工夫だと思う。一瞬板東英二の物まねをくすぐりに入れていたが、あまり気づいて貰えていない様子だった。

【歳時記と落語】しょうしょう暑うなって参りますと夕涼みが嬉しいですな。

7月7日は七夕ですが、今までもそうしてましたように、旧暦の方で扱うことにします。
この日は節気では、小暑にあたります。いよいよ暑さが強うなってくるということなんですが、大体梅雨の終わり頃にもあたっていますんで、まだまだ雨にも注意がいる時季です。
 暑中見舞いも正式には大暑からですが、このあたりから出してもまあええことになってます。
 この頃合の花というと、蓮です。涼しげで、この時期にはちょうどええんやないかと思いますが、午後には花がしぼんでしまいますんで、ご覧になる場合はお早い時間に。まだそれほど気温の上がらんうちに、水辺を散歩するというのも、なかなかええもんやないかと思います。
 水というと大阪は水の都という二つ名もありますな。今でも大阪は川や堀が結構ありますが、昔はもっと多かったんです。運輸の中心が船やったんで、当たり前ですな。それが自動車に取って代わられて、堀や川も埋め立てられました。長堀通と四ツ橋筋が交わる「四ツ橋交差点」に、四ツ橋の碑があります。四ツ橋というのは、上繋橋(かみつなぎばし)、下繋橋(しもつなぎばし)、炭屋橋(すみやばし)、吉野屋橋(よしのやばし)で、長堀川と西横堀川が交わるところにロの字の形にかかってたんです。長堀川は今の長堀通ですが、西横堀川は今の阪神高速1号環状線北行の所を流れたんで、橋があったんは碑の場所よりちょっと東側になりますな。
 夏場、涼むというたら、そんな川辺へでも出んと仕方なかった。橋の上やら浜やとかね。ここの「浜」いうんは海岸やのうて川岸のことです。昔は「住友の浜」てなことを言いました。こんな涼み方はまあ、我々同様という方ですな。
 金のある方になると、屋形船やとか船を仕立てて遊びます。「遊山船」というやつです。
 さて、ここにおりました喜六、清八という若いもん二人、夕涼みがてら、橋の上から川面を行く屋形船を眺めております。
「わあ、綺麗な船やなぁ。またぎょうさん別嬪さん乗ってるなぁ。清やん、あの別嬪さん、あれ何もんや?」
「何もんて、あらお前《出てる妓(こ)》やないかい」
「船の中に入ったはるで」
「せやあれへんがな。玄人やいうねん」
「色白ぉいがな」
「わからんやっちゃな。芸衆やがな」
「あぁ、あれ広島の女ごかいな」
「そんなこというてるさかいに、おまえはあけへんねん。あれは「芸者」やないかい」
 そんなあほなこといいながら、また船の客を冷やかして声を掛けたりいたしております。わあわあ言うておりますと、出てまいりました一艘の船。どこぞの稽古屋の船と見えまして、揃いのイカリ模様の浴衣。
「ほら、賑やかな船が出て来よったなあ。こういうのんは誉めたらなあかんで。よッ、本日の秀逸。さても綺麗なイカリの模様」
「風が吹いても、流れんように」
 さすがに粋なことと言うもんですな。
 清八に、「お前とこの嬶はあんなことよういわんやろ」と言われた喜六、家に帰りますと、嫁さんに押入れから引っ張り出したボロボロのイカリ模様の浴衣を着せますと、タライを船に見立ててその上に立たせます。自分はと申しますと、屋根へ上がって欄干に見立てた天窓からそれを見下ろします。
「さても……、うわあ、汚いなおい。冗談でも綺麗とは言われんな。もう思たとおり言うたろ。あ、さても汚いイカリの模様!」
 嫁さんもなかなかどうして粋なもんで、
「質に置いても、流れんように」

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【歳時記と落語】半夏生は毒気がいっぱい~「ちりとてちん」~

7月2日は雑節の一つ、半夏生(はんげしょう)です。もうそろそろ梅雨明けに向かおうかという時期に当たりますが、今年は結局から梅雨でした。水不足が心配ですな。
半夏生という名前は、「半夏が生えるころ」という意味で付けられました。半夏は、鎮吐剤として用いられる生薬の烏柄杓(カラスビシャク)の別名です。といっても、特に珍しいもんではなく、畑の端なんかに普通に見られる雑草です。薬と毒とは紙一重、烏柄杓も処方を誤れば毒薬になりますので、庶民にとっては毒草として知られておったようです。
その所為でもないでしょうが、天から毒気が降ってくるとか、地が毒を含んで毒草が生えるなんぞという言い伝えがあって、野草を取って食べることや種撒きをせんようにしたらしいですな。
じめじめと湿気が高く、気温も上がりがちな時期でっさかいに、物も腐りさすかった。そういうとこからも、そんな戒めができたのかもわかりませんな。 さて、落語の中で腐るというと、これはもう「ちりとてちん」をあげななりません。
ここにおりました我々同様と言う気楽な男、ある旦さんの家へ参りまして、酒や肴をご馳走になります。旦さんの誕生日という口実で、よばれてますのんで、この男、「おめでとうございます」てなことはもちろん、「生まれて初めてよばれます」てなべんちゃら尽くし。旦さんも気ぃようしておりますが、話は次第に、裏に住む「竹」という男の悪口に変わってまいります。
この「竹」、しょっちゅう旦さんの所へ来て、何かと食べて行きよるんですが、「旨い」とか「美味しい」とは一度も言うたことがない。なんぼ珍しいもんを出してやっても、「ああ、前に食べました。知ってますわ。大したことおまへんな、しょうもない」と言うばっかり。段々と憎らしうもなろうというもんです。
いっぺんギャフンと言わしてやりたい、そう言うておりますと、何やら台所が騒がしい。水屋に入れておいた豆腐が腐ってたんですな。
そこで、旦さん悪知恵が働きます。この腐った豆腐をどこぞの名物やと言うて「竹」に食べさせようというわけです。知ったかぶりの「竹」のこと、絶対に「知ってます。前に食べたことがおます」というに違いない。
醤油やら、梅干やらを混ぜて、ぐちゃぐちゃに練って、元が分からんようにしてしますと、これまたえぐい臭いが立ち込めます。
男の思いつきで、三味の音から名前をとりまして、「長崎名物ちりとてちん」といたしまして、折につめて名前をしたためます。
ちょうどそこへ「竹」がやってまいります。「長崎名物ちりとてちん」を出してやりますと、案に違わず、
「知ってますがな、長崎行てきた言うてますやろ。朝、昼、晩と食べてましたがな。酒のアテに良し、ご飯のおかずにたまりまへんで」
折をあけますと偉い臭いです。それはもう目にしみようかという具合ですが、「竹」は知ってるというた手前強がりを言い続けます。
「臭っさぁ!えらい臭いや、たまらんなぁ。いやいや、懐かしい匂いですわ。この匂い嗅いだら、長崎思い出します」
やめときゃええのに、一口放り込みます。
「オェ、ああ美味し」
「ホンマかいな?お前、涙にじんだあるがな」
「涙が出るほど美味しいんですわ」
「そらよかった。わしら食べたことないけど、どんな味や?」
「ちょうど、豆腐の腐ったような味ですわ」
有名な話なんで、みなさんご存知でしょうな。東京では「酢豆腐」と言います。知ったかぶりをするんは伊勢屋の若旦那で、「酢豆腐」という名前を始めて口にするんも若旦那です。せやから、ものが豆腐の腐ったもんやというんはその時点で双方に分かってます。ですから、オチも、
「若旦那、もう一口如何ですか?」
「いや、酢豆腐は一口に限りやす」
となってます。
この「ちりとてちん」こと「酢豆腐」は豆腐の腐った、つまり腐敗したもんですが、実は豆腐を醗酵させた食品は実在します。
クモノスカビなどで醗酵させた「白腐乳」、さらに紅麹菌を含む酒につけることで赤く仕上げる「紅腐乳」、自然発酵させた「臭豆腐」などがあります。沖縄の「豆腐よう」はこのうちの「紅腐乳」が元になっています。香港や上海では、街角で「臭豆腐」を揚げたものを売っていて、近くを通るとすさまじい臭いがします。
私も、初めて香港へ行った時には、その臭いに辟易としたもんですが、何度も行っているうちに慣れてきて、「これが香港の下町の臭いやなあ」なんて思えるようになってきたから不思議なもんです。
しかし、そうやって臭いが漂っているということは、逆に言いますと、「臭豆腐」そのものからは臭いの成分である遊離アミンや硫化水素が飛ばされているわけですな。ですから、本体にはうまみ成分が残って、ちょうどチーズのような味になってるはずです。
それでも、なれんと食べられたもんやおまへんが。


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