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元宵とは異界〜【転載】『水滸伝』の好漢像と「異界」〜

元宵節は旧暦の1月15日、その年最初の満月の夜の祝です。それは古来、日常ならざる「異界」でした。そこに触れた過去記事を転載しておきます。

今更あらためて言うまでもなく、『水滸伝』は梁山泊に集う百八人の好漢――別の言葉で言えば江湖緑林の徒の活躍を描いた物語である。このような「江湖」に生きるものたちを主人公とした物語は、中国においては非常に根強い人気がある。『水滸伝』以降も、清代の『児女英雄伝』、民国時代の『蜀山剣侠伝』などがあり、そして現在も、梁羽生、金庸、古龍らより始まる〈新派武侠小説〉、またそれらに基づく映画やドラマが華人文化圏において隆盛を極めている。

ところで、そのような民間英雄を描く物語は、他の国々でも読み継がれている。その最も知られたものの一つが、イギリスのロビン・フッドであり、あるいは我が国においては鼠小僧がそれに当たる。そして、実はこのロビン・フッドと鼠小僧には共通点が認められる。まず、彼らが「義賊」と呼ばれることである。そしてもう一つは、その「義賊」としての姿が定着するにいたった経過が非常によく似ているということである。

ロビン・フッドは、『ロビン・フッドの武勲』などのバラッドと呼ばれる歌物語の中で義賊としての姿を作りあげられ、ハワード・パイル『ロビン・フッドの愉快な冒険』などの児童小説に結集された。一方、我が国の鼠小僧は単なる盗賊から、講談『緑林五漢録――鼠小僧』や歌舞伎『鼠小紋春君新形(ねずみこもんはるのしんがた)』によって義賊へと変身し、大佛次郎の『鼠小僧次郎吉』に結晶された。南塚信吾は『義賊伝説』において、「鼠小僧」が実際は単なる盗賊であったと述べた上で、以下のように述べている。

事実はどうあれ、重要なことは別にある。すなわち、鼠小僧が義賊として民衆にイメージされたという事実である。そのこと自体がひとつの歴史的事実なのだ。勿論、そのイメージの作成者は民衆自身と言うより、講釈師であったり、戯曲作家であったり、小説化であったりした。しかし、そのイメージが民衆の正義感と照応するものであったとき、民衆はそのイメージを共有し、自分のものにした。

つまり、大衆芸能の段階で民衆好みの「義賊」へと変化したのである。

この「講談や演劇から小説へ」という流れは『水滸伝』の成立過程とも類似点が認められる。

『酔翁談録』によれば、南宋期には魯智深や武松の物語が講談として語られていたことが伺え、元代の演劇脚本「元曲」の中にも「黒旋風双献功」「梁山泊李逵負荊」など幾つかの水滸物語が存在する。また、明初にも「豹子和尚自還俗」などの雑劇がある。それら先行の物語を基にまとめられたのが章回小説『水滸伝』である。また、実際の宋江集団は宣和の初め頃に蜂起した民衆叛乱であり、北宋によって平定されたことが『宋史』張叔夜伝に見える(実在の宋江ついては宮崎市定『水滸伝――虚構のなかの史実』に詳しい)。

ならば、梁山泊の好漢も戯曲・講談の段階において民衆好みの「義賊」に形作られ、その姿を『水滸伝』の中に留めているということが出来る。

さて、以下では、後の考察を円滑に進めるためにも、『水滸伝』中の好漢達の姿をごくごく簡単にではあるが、確認しておくことにしたい。

例えば、九紋龍史進の場合、史家村の為に小華山の朱武一党と闘い、彼らの義侠心に感じて許してやり、交流するようになるが、使いの王四が酔いつぶれて、朱武の手紙を李吉に盗まれたことから、盗賊として官憲に追われる身となり、李吉を殺すことにもなった。その後、魯達と出会い、困っている父娘に金を与えて助けてもいる。また、その魯達が逐電したのは、父娘を助けて「悪人」鎮関西を殺したためであった。

その他、林冲・宋江・武松なども、同情すべき理由によって殺人などの罪を得て、犯罪者として追われ、江湖に生きることになるのであるが、彼ら自身は決して読者にとって「悪」と思えるような行為はしない。更に、晁蓋が呉用・公孫勝らとともに生辰綱を奪うのは、それが「不義の財」であるからだと述べられている。

第四十五回では、破戒僧裴如海が人妻潘巧雲と通じ、その夫楊雄の義弟石秀によって殺されるという「堕落した聖職者を挫く好漢」というエピソードが語られる。ここの石秀の殺人は義兄楊雄のことを思ってのことである。

また、総体としての梁山泊は、皇帝に叛することはなく奸臣を討つために行動し、反対者がいたとはいえ招安を受けて帰順し、遼や方臘の討伐を行う。

更に、第七十五回、招安を提案するところで御史大夫崔靖は次のように奏上している。

私の聞きおよびますところでは、梁山泊では替天行道の四字をしるした大旗をかかげ出しておりますとのこと。これは民に誇示せんがための術索ではございましょうが、民心はすでにそれになびいておりますこととて、兵を加えることはよろしくございません。(駒田信二訳『水滸伝』)

さて、ここで次の定義を見ていただきたい。

(a)不当な罪ゆえにアウト・ローになった。

(b)悪を正す。

(c)豊かな者から奪い、貧しい者に与える。

(d)正当防衛または正当な復讐以外には殺人をしない。

(e)許されるならば共同体に迎えられる。

(f)民衆に賞賛され、助けられ、支援される。

(g)裏切りによってのみ死ぬ。

(h)姿を見せず、不死身である。

(i)国王や皇帝には敵対しない(悪いのは在地の支配者、聖職者である)。

これは、南塚が『義賊伝説』において十九世紀ハンガリーの義賊ロージャ・シャーンドルについて検証する際に用いている、E・ホブズボームがまとめた「民衆の抱く義賊のイメージ」の定義であるが、そのホブズボームは、義賊(ないし匪賊)は農民社会から追いやられてその周辺に生きるものであり、貧しさや不公平、人口過剰によって発生する、とも述べている(斎藤三郎訳『匪賊の社会史』。なお、先の定義文は、南塚が書き直したものが簡潔なので、そちらを用いている)。端的に言えば「民衆の持つイメージとしての義賊」とは、農民社会を基盤とした社会において、何らかの理由によってその共同体周辺にはみ出した者であり、公権力にとっては犯罪者ではあるが、民衆自身にとっては味方であり、不平の代弁者である存在、ということである。よく似た中国古来の概念に「義侠」や「仁侠」があるが、これらはは必ずしも「アウト・ロー」という実態をともなうわけではない。つまり「義賊」の方がより限定的概念であると言える。

先に挙げた好漢の例とホブズボームの定義を比較すれば、(a)から(e)までは、問題なく『水滸伝』の好漢にも該当すると言ってよく、(f)や(i)も大筋では当てはまっている。つまり、好漢はおおむね「民衆の持つ義賊のイメージ」、言い換えれば、共同体から放逐されつつも、民衆が共感できる代弁者たる「義賊」として描かれているということである。

それでは、義賊というイメージをもった彼ら好漢の活躍する「場」について、以下で少し考えてみたい。

まず、第一の好漢九紋龍史進が、史家村を追われた後に王進を訪ねて旅に出て、第六回において追い剥ぎに身を落として花和尚魯智深と再会するのは赤松の林の中であった。そして、その史進は朱武らとともに少華山に立てこもることになる。その他、孔明・孔亮は白虎山に、魯智進・楊志は二龍山に山塞を構え、桃花山には李忠・周通がおり、後に梁山泊に合流する。これ以外にも山塞を構えつつも梁山泊に合流した好漢たちは少なくない。そして何より、広大な「水」に囲まれた要害の梁山泊も巨大な山塞である。

この他に気になる場所として、何度も登場する小旋風柴進の屋敷、梁山泊の情報収集基地としての酒店、『隋唐演義』とも共通の騒動の場「元宵の灯籠祭り」、そして邂逅の場としての「市」などがある。

さて、山と言えば古く伯夷叔斉が首陽山に隠れた故事が思い起こされる。これについて安藤信廣は「中国文学と異界」において「首陽山はなるほど周王朝の範図の中に入っているが、しかしそこは俗なる日常の空間とは次元をことにする異界なのである」(「新しい漢文教育」二十一号)と述べているが、それは極めて民俗的心理の反映であろう。ならば状況的に同じ「山塞への立てこもり」も、民俗的心理に裏打ちされているのではないだろうか。

ではここで、安藤は全く触れていないが、民俗学などにおいて「異界」とはどのようなものであるかを考えておきたい。

赤坂憲雄『異人論序説』によれば、共同体の内部は秩序に支配された可知的領域であり、石・樹木や川・湖といった自然の地形、あるいは石柱・門などの人為的標示によって隔てられた境界外は、共同体内に穢や病をもたらす不気味な禁忌される混沌とした時間・空間であるという〈秩序・混沌という二元的世界認識〉は定住農耕民には普遍的に見いだされるという。そして赤坂は、次のようにも述べている。

内部(うち)へむけての平等と外部(そと)へむけての封鎖、この、構造そのものが孕む二重性につらぬかれつつ、共同体はそれぞれに、多かれすくなかれ“局地化された小宇宙”を形成している。全社会がそうした群小のミクロ・コスモス(小宇宙)の集合体として構成されるとき、諸共同体のはざまには、おのずと共同体の規制と保護のおよばぬ一種の社会的な真空地帯がうまれる。

つまり、この共同体の〈外〉なる「一種の社会的な真空地帯」こそが「異界」であり、赤坂は「原生林や荒野といった人跡もまれな社会的真空地帯は、『匪賊』たちの跳梁する空間であった」とも記している。これは史進・魯智進再会の場に見事に符合している。それはともあれ、生活圏の周辺部に位置し、時に分け入ることはあっても、基本的に生活の場とはならず、信仰の対象ともなる山岳地帯も「社会的な真空地帯」という点においては同様であり、その「無縁」性ゆえに、山は「異界」となりうるのである。伯夷叔斉の故事はそれを物語っており、安藤の言うところもそのことを指している。

なお、ここでいう「共同体」とは、必ずしも物理的空間的なもののみをではなく、人々の関係や意識という意味における「共同体」をも包含することに注意すべきである。その「異界」に住まう人々、これを「異人」と称せば、「異界」がすぐれて関係的な概念である以上、「異人」もまたすぐれて関係的であると言える。

また、赤坂は〈内〉と〈外〉、〈遍歴=漂泊〉と〈土着=定住〉という観点から、「異人」を次のように分類している。

①一時的に交渉を持つ漂泊民

②定住民でありつつ一時的に他集団を訪れる来訪者

③永続的な定着を志向する移住者

④秩序の周縁部に位置づけられたマージナル・マン

⑤外なる世界からの帰郷者

⑥境外の民としてのバルバロス

②には行商人や旅人が当てはまるが、彼らは訪問先の人々にとっては「異人」であるが、自分たちの郷里では〈内〉なるものである。それは「異人」が関係的存在であり、関係的概念であることの証左であろう。

さて、中国社会も古来より、農耕を基盤とする定住社会である。そして、秩序・混沌という二元的世界認識が定住農耕民には普遍的に見いだされるのならば、赤坂の述べる「異界」「異人」の概念は、中国社会にも援用できるはずである。さらに、山や林といった好漢の「棲処」が民俗的心理において妥当性を有しているのであれば、その他の場についても、「異界」「異人」の概念を用いてその象徴的意味を説明することは可能ではないのか。その考えに従って、以下、幾つかの〈気になる場〉について解析を試みたいが、まずその前に、『水滸伝』の好漢達が「異人」であるのかを検証しておく。

彼らは非常によく旅をする。この時、彼らは間違いなく②の「異人」である。そして赤坂は④の「異人」について、「秩序の周縁部に疎外された者、または“社会的欄外性”(M・メルロー=ポンティ『眼と精神』)をおびた者はしばしば、潜在的遍歴者という象徴的な、ときには現実的な役割をあたえられる」と述べて、狂人・非行少年・犯罪者・アウトサイダーなどを例として挙げている。また、先の引用には「」社会的真空地帯は、『匪賊』たちの跳梁する空間であった」ともある。ここに挙げられたものたちの形象は、先に確認した「義賊」にも共通するものであることは、今更説明するまでもないだろう。すなわち、それはまさに『水滸伝』の好漢達の姿でもある。

いや、そもそも「江湖」「緑林」という呼称そのものが、彼らの「異人」性と、その〈棲処〉の場の「異界」性を表している。「江湖」「緑林」は、明らかに農村共同体外――諸共同体のはざまに存在する、原生林や荒野といった人跡もまれな社会的真空地帯に他ならない。

ではいよいよ〈気になる場〉について見てみることにしよう。

まず、復習的に梁山泊についてみると、広大な湖と嶮しい山という二重の「境界」に守られた要害の山塞こそが梁山泊の正体である。人を寄せ付けないその姿は共同体から離れた社会的真空地帯であり、公権力も及ばない無縁の地、所謂「アジール」である。好漢達が集うのも宜なるかな、である。

また第十一回には、人や金品、或いは情報を山塞へ運ぶという機能を有した朱貴の酒店が、谷川に沿い湖に面して建てられて登場する。

ところで、日本には「中宿」という峠のあちらと此方が互いに直接接触することなくものをやり取りする機構があった。その場所が峠であるのは、そこが境界という属性を有しているからである。峠には霊が現れると言われ、中国の冥界遊行譚や再生譚にも、境界として「峠の茶屋」的存在が登場することが知られている。

街道を進んだ果てに現れる、湖を背にして建つ酒店はまさに人界の尽きるところである。さきに川や湖が境界として位置づけられることは既に述べた。つまりこの酒店は「中宿」や「峠の茶屋」のような役目を担って、人々の行き交う「こちら」側と、梁山泊という「異界」側との境界線上に建っているのである。そうしてみた場合、第三十九回で宋江が水辺の酒楼で叛詩を壁に賦すというのも、それによって身を危うくし、結果的に梁山泊に身を寄せることになることと考えあわせると、何とも示唆的である。

次に、柴進の屋敷を見てみよう。その物語構造上の役割については既に述べたが、柴進の屋敷は多くの好漢達を匿い、好漢達の出会いの場として作用している。しかし、並大抵の存在では、官憲に追われるところである好漢達を匿い助け続けることは不可能である。そこで、柴進が前王朝の一族であるために宋王朝より一種の治外法権を約束されているという設定が生きてくる。この公権力によって認められた〈外〉的特権によって、柴進の屋敷は一種の「アジール」性を獲得しているのである。その公権力が例外的に認めた「アジール」という点においては、江戸時代に女性からの離婚の手段として保証された鎌倉東慶寺・上野満徳寺――所謂「駆込寺」に近いと言えるかも知れない。

さて、柴進の屋敷は「異界」とは言っても物理的空間的には共同体の外にあるわけではなく、そこは共同体の住人あり地主でもある柴進の生活の場でもある。それが「異界」として機能するのは、「異人」や「異界」と言った概念が、関係的概念であるためである。よって、現実の場所は共同体内部にあったとしても、「異界」性を保持することは十分にあり得るのである。次にあげる「市」はその好例である。

第四十四回、公孫勝を探して旅に出た戴宗は、途中で出会った楊林と共に薊州城に入る。その路上で、戴宗・楊林・石秀・楊雄が邂逅する。その路上は、楊雄登場の描写に「原來才去市心里決刑了回來」とあることや、戴宗が石秀をすぐに酒屋に連れ込んでいることから「市」、または「長街」とあるから「市」にほど近い通りとでも言うべきところではないかと考えられる。以下、そこを「市」として話を進める。

ここでまず、登場人物四人について見ておくと、戴宗と楊林は江湖緑林の徒であり、旅人であって、紛れもなく「異人」である。次に、楊雄は首切り人であるが。罪人が「けがれ」として「聖別」され、その処刑という「けがれ」に関わるものも逆説的に「聖別」されて共同体外あるいは周縁部に関係づけられるものである以上、彼もまた潜在的な遍歴者という「異人」の顔を持つ。最後の石秀は薪売りであり、故郷に帰れなくなった行商人であり、赤坂の分類で言えば②及び③の「異人」と言える。なお、ジンメルは『社会学』所収「異人論」において、商人は如何なる場所に置いても異人として登場すると述べている。この石秀の「商人」としての「異人」性は「市」の「異界」性にも関わってくる。

かの地から此方へと商品を運ぶ商人は共同体の内外を往来するものでありその性質上、共同体とは異質なものであり、彼らによって執り行われる商業は本質的に共同体との間に「無縁」性を保持する。商業の原初形態である暗黙交易において、一方の共同体からは他方が正体不明の妖怪めいたものとして考えられていたことが、それを何よりもよく物語っている。そして古来「市」は辻や川辺や原野といった「真空地帯」に置かれたことは、「市」という場の「無縁」性の証である。その性質は「市」が共同体内部に置かれた場合にも保持される。網野善彦は『増補 無縁・公界・楽』(平凡社一九八七年)において、

「戦国時代には、市に集住するようになった人々は、自らを外部との縁の切れた『公界』と称し」たと述べている。また西洋においても「市」は絶対中立地であり、あるいは戦争の最中にも「市」は開かれ、中立地として維持されていた。その意味するところは、「市」という空間が「無縁」の「異界」であったということであり、赤坂は「市という〈無縁〉の場もやはり、ある種アジール性を帯びた空間であった」と記している。李逵や『隋唐演義』で秦叔宝が騒ぎをおこす「元宵の灯籠祭り」、あるいは第七十二回の奉納相撲の騒ぎの一幕などの「祭」も、そこが「ハレ」の場として位置づけられることからすれば、この特質――〈無縁〉の場・アジール性を帯びた空間・公界としての「異界」という性質――は、ほぼ同様であると言っていいだろう。

ともあれ、絶対中立のアジールである「市」を、栗本慎一郎は「すべての共同体においてそうであったように、市場の地は非日常の地であり、他界への出入り口でもある」(『光の都市 闇の都市』)と述べている。そのような非日常の空間である「市」が、非日常の存在である「異人」たちの邂逅の場となることは、その非日常的「事件」に心理的リアリティ、あるいは説得力をもたらすことになる。また、「他界への出入り口」という要素は、ある場合には〈内〉なる「異人」を〈外〉へと誘うことを暗示しうる。そして、「酒店」「柴進の屋敷」といった「異界」も異界そのものではなく、むしろ異界との接点であるが故に、その作用としては同質のものを持っていると言ってよいだろう。つまり、潜在的な遍歴者が、顕在的遍歴者へと変じること――つまり「異人」として顕在化することを示しうるであろう。

Z4 tabletからubuntu16.04に日本語入力

ちょっと困ったことが1つ解決したのでメモしておきます。

結論

Xperia Z4 tabletからubuntuにリモート接続した場合、全角半角切り替えは、左シフト・キー

今のところ、Xperia Z4 tabletから自宅のPCに接続するには、接続が比較的簡単なのと、反応がよいことからTemviewerを使っています。

PCをサーバーにしてしまって、というのはよく分からないので、この方法を取っています。

さて、自宅PCがwindowsの場合は、Z4 tabletの「半角/全角」キーでの日本語入力切替に問題がなかったのですが、ubuntuの場合、不都合が生じました。

Z4 tablet側で「半角/全角」キーを押して日本語入力にすると、たとえば「見出し」と入力すると、確定した瞬間に「ししし」になってしまうのです。

Z4 tabletのキーボードであるBKB50のキー配列が自宅PCと異なっているからかもしれません。あるいはZ4 tablet側からの入力とmozcの入力が干渉するのかもしれません。

そこで、Z4 tablet側を常に半角入力にして、ubuntu側のmozcで「半角/全角」を制御すると、半角英数と全角日本語が問題なく打つことができました。「全角入力→F10で半角変換」は活きているのですが、文字はともかく半角スペースのときに困まります。

パネルのmozcアイコンから変換モードが変更できるます。しかし、文字を打っている途中で一々画面をタップするのは面倒くさい。できることなら避けたい。

いや、絶対にいやだ。

そこで、いろいろ試した結果、左シフトの・キー単独押しで半角/全角が切り替えられることに気がつきました。