月別アーカイブ: 12月 2013

梅艷芳。10。思念。音樂會

昨日、12月30日は、香港の歌手、そして女優として第一線で活躍した梅艷芳(アニタ・ムイ)が亡くなって十年という日でした。
2003年、思えばこの年は張國榮(レスリー・チャン)も4月1日に亡くなっていますから、香港芸能界にとっては非常に大きな損失の年だったと言えるでしょう。

昨日は梅艷芳を偲んで、コンサートが行われ、ネットでのライブ配信も行われたので、日本からもその模様を見ることができました。我が家では、PCからHDMIで40インチのテレビに出力して鑑賞しました。
出演者は非常に豪華で、梅艷芳がどれだけ愛されていたのかが偲ばれました。

まず、.イベントには欠かせない香港芸能界の重鎮「ちっちゃいとっつぁん」曾志偉(エリック・ツァン)の挨拶に始まりました。今回は企画と出資そのものが曾志偉と張學友によるものだそうですから当然と言えば当然ですが。
ざっと並べてみますと、

  1. 曾志偉(エリック・ツァン)コメント
  2. 張學友(ジャッキー・チュン)「赤的疑惑」
  3. 張惠妹(アー・メイ)「親密愛人」
  4. 林憶蓮(サンディ・ラム)「蔓珠莎華」
  5. 成龍(ジャッキー・チェン)コメント
  6. 袁詠儀(アニタ・ユン)コメント
  7. Medley:草蜢(グラス・ホッパー)「愛將」、杜德偉(アレックス・トー)「冰山大火」
  8. Medley:何韻詩(デニス・ホー)「淑女」、楊千嬅(ミリアム・ヨン)「妖女」
  9. Medley:蘇永康(ウイリアム・ソー)「黑夜的豹」、梁漢文(エドモンド・リョン)「烈燄紅唇」、許志安(アンディ・ホイ)「壞女孩」
  10. 群星「Stand by me」
  11. 鍾楚紅(チェリー・チョン)コメント
  12. 劉嘉玲(カリーナ・ラウ)コメント
  13. 梁朝偉(トニー・レオン)「朦朧夜雨裡」
  14. 林子祥(ジョージ・ラム)「抱緊眼前人」
  15. 鄭秀文(サミー・チェン)「女人心」
  16. 張曼玉(マギー・チャン)コメント
  17. 關錦鵬(スタンリー・クワン)コメント
  18. 陳奕迅(イーソン・チャン)「胭脂扣」
  19. 郭富城(アーロン・コック)「夢伴」
  20. 劉德華(アンディ・ラウ)「似水流年」
  21. 群星「夕陽之歌」

と、なります。「神様(歌神)」に始まり、「オレ様」に終わるというコンサートでした。
これだけの顔ぶれが揃うというのは、はっきり言いまして日本の「紅白歌合戦」や「レコード大賞」なんかより余程豪勢なことで、まずあり得ないことだと言っていいでしょう。
残念なのは、「BIG FOUR」が張衛健(ディッキー・チョン)を欠いた3人(蘇永康、梁漢文、許志安)で、「四大天王」もまた黎明(レオン・ライ)を欠いていたことですかね。
なお、梁家輝(レオン・カーフェイ)は間に合わなかったということですが、クロージングにはいましたね。
映像につては、さっそくYOUTUBEにあげられています。こちらとかこちらとかですね。
出演作品やアルバムなど、沢山ありますが、やはり今、感慨深いのは、張國榮と共演している「胭脂扣(ルージュ)」(監督:關錦鵬)、「金枝玉葉 2(ボクらはいつも恋してる!/金枝玉葉 2)」でしょう。

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サンテレビ劇場版ガンダム放送で思い出したこと。~二つの十字架~

先にも書きましたとおり、サンテレビで年始に《劇場版 機動戦士ガンダム》3部作が放送されます。
ここで必ずと言っていいほど、話題になるのが「劇場版 機動戦士ガンダムⅠ」の主題歌「砂の十字架」。
作詞作曲は谷村新司、歌は、谷村とも旧知のやしきたかじん。当時あまりうれていなかったたかじんにとっては大ヒットとなったが、様々な問題が絡んで、たかじんは歌手生活最大の汚点と言っている。しかし、そのたかじんの思いとは裏腹に、ファンの間では意外と評価が高いのが事実。ⅡとⅢの井上大輔の「哀・戦士」「めぐりあい宇宙」が大きすぎるので、その比較で分が悪く見えてしまっていると言えるだろう。

さて、その「砂の十字架」を聴くと、私がどうしても思い出してしまうのが、これ。

「特捜最前線」のエンディング、ファウスト・チリアーノが歌う「私だけの十字架」。

どちらももの悲しい雰囲気の漂う名曲ですね。

砂の十字架
砂の十字架

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年末年始、見るべき作品(近畿限定)、「サンゴ礁伝説 青い海のエルフィ」!

サンテレビの年末番組の中に、「サンゴ礁伝説 青い海のエルフィ」がありました。
放送は、2013/12/30(月) 07:00-08:25。

調べると、昨年末にTOKYO MXで大晦日に放送されたらしい。

1986年5月19日にフジテレビ系で放映されたTVスペシャル。
この作品、文明崩壊後の世界を描いているんですが、それ以上に気になる点が。
まず、制作は日本アニメーション。「世界名作劇場」などを手がけた会社ですね。
キャラクターデザインが小田部羊一。東映動画、Aプロ(後のシンエイ動画)、ズイヨー(後の日本アニメーションと仕事をしてきた人です。「パンダコパンダ」で作画監督、「アルプスの少女ハイジ」や「母をたずねて三千里」でもキャラクターデザイン・作画監督をなさっています。
このラインは、高畑勲、宮崎駿を想起させますね。実際、大塚康生の招きでAプロに移籍したのも、高畑、宮崎両氏と同時期だそうです。
そして、主人公の声が島本須美。

もう、こうくると、どうしても1984年公開の「風の谷のナウシカ」と比較されてしまします。そういう意味では非常に可愛そうな作品と言えます。
はっきり言いまして、忘れられた作品と言っていいくらいで、ソフト化も昔のVHS以来なされていないようです。
そういう意味では、これは貴重な機会と言えます。

おまけに、2013/12/27(金)には日テレ系で、その「風の谷のナウシカ」が放送されるという、何とも皮肉なことになっています。

ちなみに主題歌は種ともこで、この点では、劇中で主題歌が使われなかった「ナウシカ」には勝っていますww。

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年末年始、テレビで見るべき映画(個人的趣味)

年末年始にテレビで放送予定の映画の中から、個人的に外せないものをメモ。

サンテレビ ガンダム3部作

初期版か特別版かは不明。
2014/01/01(水) 06:25-09:00 機動戦士ガンダムI

2014/01/02(木) 06:25-08:55 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編

2014/01/03(金) 06:25-09:00 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編

 

テレビ大阪 年末年始の成龍祭り

2013/12/28(土) 25:20-27:20 酔拳2

2013/12/28(土) 27:55-29:40 ファイナル・プロジェクト

2014/01/01(水) 25:05-28:45 ラッシュアワー・ラッシュアワー2

「酔拳2」とは言っても、「酔拳」とは直接関係がありません。最近、成龍は「酔拳の新作作成に意欲を見せたそうです。
また、日本語吹き替え版のHDリマスターBDも発売になりました。
「ラッシュアワー」は成龍にアメリカでの決定的な成功をもたらしたシリーズですね。真田広之も出演した「3」もありました。
「ファイナル・プロジェクト」は、なかなか渋いところをついてきましたね、テレビ大阪。原題は「警察故事4之簡単任務」ですから、「ポリス・ストリー」シリーズの4作目。興行的には前作よりも好かったはずです。
日本の配給会社も香港返還とジャッキーのアメリカへの本格進出で、「これで最後」と思い切ったんでしょう。よもや2004年に「新警察故事」、そしてまさに今年「警察故事2013」が公開されるようなことになろうとは、予想だにしなかったんでしょう。
おまけに、これも。
2013/12/29(日) 26:55-28:55 少林サッカー

 

毎日放送 Tiger & Bunny The Rising 公開記念

2014/01/04(土) 26:28 劇場版 TIGER&BUNNY -The Beginning-

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【歳時記と落語】冬至に食べる7つの開運食

12月22日は冬至です。二十四節気の中でも重要な節気の一つです。暦では、冬至があるのが十一月と定められています。
一年で一番日が短い日と言われますが、実際にそうなるかどうかは、暦と天体の動きの関係で絶対とはいえんようですが、古く四書五経の一つ『 尚 書』の「 堯 典 」の中にも 「 日 短 」と書かれております。また「冬至一陽生(冬至は一陽生ず)」ともいい、陰の気が極まり、陽の気が生じ始めるときとされております。「一陽来復」とも言いますな。つまり冬の極まりということは、ここからは段々春に向かっていくという訳ですな。最も実際はまだまだ寒さは厳しくなっていきますが。
北宋の蘇軾の「冬至日独遊吉祥寺(冬至の日、独り吉祥寺に遊ぶ)」にも、そんなことがうかがえます。

井底微陽回未回  井底の微陽 回(めぐ)るや未だ回らざるや
蕭蕭寒雨湿枯荄  蕭蕭たる寒雨 枯荄(こがい)を湿す
何人更似蘇夫子  何人か更に似たる 蘇夫子に
不是花時肯独来  是れ花時ならざるに 肯て独り来たる

この冬至には昔から、カボチャを食べるという風習がありますな。カボチャは保存が利きますんで、昔は冬の貴重な栄養源やったんです。実際にかぼちゃにはカロテンが豊富で、体内ではビタミンに変わります。ちゃんと理にかなっているわけですな。
もう一つ、ゆず湯に入るというのもありますな。無病息災を祈るもんですが、これも実際に血行がよくなり、よう身体が温まりますから、単なるまじないという訳ではないようです。
それから、今はあんまりやりませんが、「ん」のつく食べもんを食べるというのがあります。「運」が着くようにと言うわけですな。この「ん」のつくもんというのが七つあるそうで、「なんきん」「にんじん」「れんこん」「ぎんなん」「きんかん」「かんてん」「うどん」やそうです。全部「ん」が二つつく。「うどん」は一つやとおっしゃるかもしれまへんが、漢字で書くと「饂飩(うんどん)」ですな。
この「ん」のつくもんが出てくるのが、「ん廻し」別名「田楽喰い」ですな。

まあ、これは四月に木の芽のところで紹介しましたな。噺の中では特に季節がうかがえるようなところもありませんので、特に冬至という訳でもない。
そこで今回は「うどん」に関係した噺をひとつ。

寒い中をうどん屋が商売しております。屋台というても今のような立派もんやない、天秤棒の両側に縦長の行李がついているようなもんです。
酔っ払いに絡まれたりで、なかなか商売になりまへん。
ある町内で、男に呼びかけられます。仲間内で集まって札の一つもやってるんやが、ちょっと腹が減ったんで、うどんでも食おうかというわけですな。しかし、まああんまり人に誇れるようなことをしているわけでもないので、使いのもんも小さい声で注文いたしまして、うどん屋にも大きな声はださんようにと言いつけます。
十人分売れて気をよくしたうどん屋が商家の前まで来ますと、また小さい声でお呼びがかかる。またようさん売れるかと思うたら、一杯だけ。味見かも分からんと希望を持って、うどんを作って持って行きます。
「お待ちどぉさんで」
「できたか? おおきに、ありがと。うまそや。ええダシ使こてるなあ。……美味かった。ごっつぉさん」
「お粗末さまでした」
「うどん屋、また明日もおいでや」
「ありがとさんで」
「うどん屋」
「へぇ?」
「お前も、風邪ひぃてんのんか?」

故・桂吉朝師匠と、故・桂枝雀師匠の一席をお楽しみください。

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ギャラリー

上海紀行 その6 復興公園周辺。孫文と中国革命ゆかりの建物

さて、三日目、夜中の間に強風でも吹いたのか、はたまた土曜日で内陸の工場が休んでい … 続きを読む

上海紀行 その5 首都消失!? 記録的な汚染の中を虹口へ(後編)。

(承前)
「多倫路文化名人街」を後にしまして、四川北路に戻りました。ここから南へ向かいます。
巨大な「上海第一人民医院分院」を尻目にころして南へ。
通りの向かいに現れましたのが、「永楽坊」。

かつて、この一角に「梅機関」がありました。「梅機関」は、設立者・影佐禎昭中将の名をとって「影佐機関」とも呼ばれる日本軍の特務機関です。国民党内にあって親日的であった「汪兆銘」を支援して、所謂「南京国民政府」樹立の工作を行いました。
今はそんなきな臭いことを微塵も感じさせない下町になっています。
そのまま南に下ったところに「横浜橋」があります。

ここを南に渡ると、やや街の様相が変わります。再開発が進んでいます。

ここでちょっと休憩してお昼ご飯を頂きました。

さらに南下していきますと、再び古い建物が見えてきます。

邢家橋南路を渡り、四川北路公園の中を抜けて、衡水路と乍浦路が交わる辺りに出ました。

右端に見えるのが、乍浦路です。この辺りは再開発の真っ最中で、一区画建物がなくなって労働者の範囲宿泊施設になっていたりしました。その路地を入ると、今は使われいないらしい建物があります。

これがかつて所謂「日本租界」の三大ホテルと言われた「大和ホテル」の建物です。この調子だと、数年後にはなくなっているかも知れません。
乍浦路を南に進んで武進路に出ました。左右に二棟並んで同じ様式の集合住宅が建っています。

これは東側の棟です。
武進路を渡って少し乍浦路を進むと、白いかまぼこ状の建物が見えました。

葉が茂っていて見にくいですが、旧・西本願寺です。1931年に建てられた物です。
この少し南にもう一つ、寺院建築が残っていました。絶賛リノベーション中でしたが。

旧・本圀寺です。日蓮宗妙覚字寺の別院として建てられたもので、今の建物は1922年の建築です。
この辺で、小腹が空いたので、牛肉煎包をいただきました。

油断をすると肉汁が溢れるので、慎重に食べる必要がありました。
乍浦路と海寧路の角にある「網珈(ネットカフェ)」。

旧・ウヰルス劇場です。ここから北海寧路に逸れてみます。

こちらにも風情のある風景があちらこちらにあります。
もう少し行くと大きな建物があります。

表側はこんな感じですが、中に入ると、
ローマ風のファザードがあります。人民解放軍の海軍東海賓館ですが、かつては日本海軍武官府でした。
呉淞路に出まして、北を見ますと消防署が見えました。

消防局虹口中隊の建物ですが、旧・虹口救火会です。これも同じ目的で使い続けられているわけですね。
ぐるっと回って、乍浦路と海寧路の交差点を渡りますと、碑がありました。

虹口大戯院遺址の碑です。1908年に開業した中国初の映画館です。
振り返りますと、劇場がありました。

星美国際電影院。旧リッツ劇場です。
海寧路を四川北路まで歩きますと、妙に薄っぺらいビルがありました。

中国銀行虹口大楼のようですが、今は銀行も移転したみたいです。かつては東和洋行ホテルでした。異常に長いと思ったら、途中からそっくりの別のビルになっていたようです。
PM2.5の所為か、5時頃にはもう暗くなってくるし、歩き疲れもしましたので、地下鉄に乗って新天地へ戻りました。

そして「simply thai」でタイ料理を食べました。

これは非常に本格的なお味でした。

上海歴史ガイドマップ
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上海紀行 その4 首都消失!? 記録的な汚染の中を虹口へ(前編)。

田子坊から戻って、当然食事はしたわけですが、それは別の所に譲りまして、観光の続きとまいります。
しかし、起きてみると外はこんな有様。

前日ははっきり見えていた「ザ・ランガム新天地」がすでにかすんでいます。距離にして約300mです。500mも離れるともう見えないというような状況です。
しかし、じっとしていても仕方が無いので、地下鉄で「虹口足球場」まで行きました。このあたりはかつては俗に「日本租界」と言われたところです。
でも、駅を出るとやはりこんな有様です。

とはいえ、町並みは往時を偲ばせる建物が沢山残っています。

まあ、中にはこんな所も。

献血が商売になるってことは所謂「売血」なんでしょうか。

しばらくは「四川北路」に沿って進みます。
「四川北路」と「東江湾路」の交差点にある、ひときわ偉容を誇る交通銀行の建物。

これは、かつて日本海軍特別陸戦隊本部が置かれていたところ。いまは南京軍区航務軍事代表弁事処となっています。実はかつて日本軍の施設だったものが、人民解放軍の施設になっているというケースは多く見られます。
通りを南に渡ると、石の門があります。

「多倫路文化名人街」です。この辺りには近代中国を代表するような文人が結構集まっていたんです。それを記念して整備されているのが、「多倫路文化名人街」です。
まず、その入り口に位置する白い建物。

1924年に建築されたイスラム様式の影響が色濃いこの建物は、かつて孔祥熙(宋家の三姉妹の長女・宋靄齢の夫)が住んだので、「孔公館」と呼ばれています。
その東隣が「拉摩斯公寓」。

ここは一時、近代文学の父・魯迅が住んだところでもあります。魯迅はこの辺りで引っ越しを繰り返していたので、住んでいたという場所がいくつもあります。


今は病院になっているこの建物もかつては国民党の軍人・白祟禧が住んだところ。今回は撮れませんでしたが、この東側にほとんど同じ建物があって、そちらはかつて日本軍の宿舎だったようです。
もう少し行くと、ガイドブックでもお馴染みの光景が。

「永安里」です。前の部分は1925年に建てられたもの、戦後増築されています。
その向かい辺りに、路地があります。

よく見ていただくと分かるのですが、路面に足跡がつけられています。

「魯迅」と書いてあります。そのほかにも「巴金」「茅盾」「郭沫若」などの足跡があります。靴が残っていればつけられはしますが、本当かどうかは分かりません。ここは進んでいくと、「景雲里」になります。

かつて魯迅が住んだところで、現在鋭意リノベーション中です。
路はゆるやかに東に曲がる本道と西へ向かう側道に別れます。その角にあるのが「夕拾鐘楼」です。

この名前は魯迅の名作「朝花夕拾」からとったものです。
本道を進むと、少し奥まったところに、趣のある建物が。

1920年頃に建てられた通称「薛公館」。戦中は日本軍が接収し、海軍武官府として使っていました。今は一般の集合住宅になっています。その南側に大きく聳えるのが「鴻徳堂」。

1928年にアメリカ北長老派の宣教師と中国の信者からの寄付によって作られた、中国様式の屋根を持つ特異な教会です。内山完造の妻・美喜子の追悼式がここで執り行われました。

さて、この「多倫路文化名人街」にはゆかりの人物の像が置かれています。

瞿秋白


柔石


葉聖陶


丁玲


郭沫若


沈尹黙


内山完造


馮雪峰


茅盾


魯迅

虹口編は後編へ続く。

上海紀行3 おしゃれな女性観光客に人気の「田子坊」

近年、雑貨を扱うお店やバーなどが進出し、一気に若者の集まる町と化した「田子坊」。元々は下町情緒溢れる住宅地でした。1999年、彫刻家の陳逸飛がアトリエを開き、それをきっかけにして芸術家が集まり、そこを訪れる人を目当てにバーやレストラン、雑貨店が自然と集まり始めました。ですから、案内図はあるものの、全く町自体は整備されたものではありません。


これが、南側の正門です。訪れる際には、ちゃんとこちら側から入ってくださいね。

上海紀行その2 馬当路から復興中路

新天地時尚を抜けて、馬当路へ出ます。霞がかかったようで、太陽までぼんやりとしたような様子に見えます。おかげで昼過ぎでも薄暗い感じです。

馬当路を南に向かうと、途中に「大韓民国臨時政府旧址」があります。1919年の三一独立運動とほぼ時を同じくして、上海に朝鮮の民族運動家によって大韓民国臨時政府が樹立されます。臨時政府初代総理は、後の大韓民国初代大統領李承晩です。臨時政府と名前は立派ですが、実態は亡命活動家やテロリストのアジトのようなものです。唯一場所が特定されて現存する、この場所も本来は労働者の住宅です。ここには1926年から32年まで、当時の首班・金九以下数名が集まり、新聞の発行や、朝鮮本土との連絡を行ったりしていました。しかし、1932年の虹口公園(現・魯迅公園)での爆弾テロを決行した結果、彼等は上海にもいられなくなり、以後は中国各地を転々とすることになります。


角を曲がって復興中路を西に向かいますと、淡水路との交差点に教会があります。「上海市基督教諸聖堂」です。1925年のクリスマスに竣工したローマ様式の教会ですが、現在は一部改装中です。

その向かい側の巨大な建物は「花園公寓」、旧・派克公寓(Park Apartment)で竣工1926年です。


この通りは両側とも、租界時代の建物がよく残っています。重慶南路との交差点南東側に建つ「重慶公寓」、旧・呂班公寓(Dubail
Apartment)は1931年竣工。アメリカのジャーナリスト、アグネス・スメドレー(1892-1950)が住んでいたところです。彼女は、ゾルゲと尾崎秀実を引き合わせた女性として有名です。


その北向かいが、中国近代美術教育の父、劉海粟(1896-1994)の旧居です。劉海粟は、1911年11月、若干17歳で上海図画美術院を設立します。これは中国初の近代美術専門学校で、上海美術専門学校の前身です。


重慶南路を南に下ると、左翼ジャーナリストで抗日運動家・鄒韜奮(1895-1944)が暮らした万宜坊がほとんど当時の姿ままで残っています。

更に南に行くと、上海交通大学医学院です。重慶南路の向かい側も同大学のキャンパスです。この医学院は元・震旦大学。1902年に、震旦大学は、後の中華民国初代教育長・蔡元培(1868~1940)が、イエズス会士の馬相伯に南洋公学の学生24名の教育を依頼したことに始まります。翌年、生徒が100名となり、大学の前身である震旦学院が設立され、1907年に馬相伯の約14万元銀相当の洋銀・土地の寄付によって、現在の位置に移転しました。

建国中路を西に折れて、しばらく行くと、南側に上海観光の注目スポットのひとつ「田子坊」があります。

ですが、正面はさらに南側の泰康路なので、少し手前の思南路あたりを南に折れていくのが本当です。(続く)