カテゴリー別アーカイブ: 時事

やしきたかじん追悼

年末に、サンテレビで劇場版「機動戦士ガンダム」の放送があり、そこで、やしきたかじんの「砂の十字架」をブログで取り上げた
それから数日、まさか訃報がでようとは。

歯に衣着せぬ物言いと、大阪への拘りで、大阪を中心とするエリアでは絶大な人気を誇ったエンターテナー。歌手ではあるが、コンサートでもしゃべりの方が長いとか言われるほど、トークが持ち味だった。
酒ににまつわるエピソードや口の悪さが災いした事件も幾多もある。そういう意味では、古いタイプの「芸人」であったのかも知れない。
まあ、「無茶」な人である。
この「無茶」なたかじんが手を焼いた人物がいる。誰あろう、桂ざこば師匠だ。生放送が野球の優勝をかけた試合中継で押してしまい、腹を立てたざこばをたかじんがいさめるという、今からはなかなか想像が難しいような事件がその昔あった。
このとき、たかじんはざこばを「師匠」とは呼ばなかった。「兄さん」と呼んでいた。他の歌手なら、年齢的に近くても「師匠」と呼ぶはずだ。これはたかじんが「芸人」側の人間であることをよく表していると、その時に思ったものである。

台湾生まれのパンダ、一般公開。公式チャンネルには映像も一杯。

今朝(1月6日)に日本の新聞各紙も報じているが、台北動物園の子パンダ「圓仔」が一般公開される。「圓仔」は大陸中国から台湾に送られたオスの「團團」とメスの「圓圓」との子で、初めて台湾で生まれたパンダ。
動物園での一般公開は本日6日からだが、その様子はyoutubeの公式チャンネルで公開されてきたし、一日に数時間はライブ映像も配信されてきた。これは今後も続くだろうから、関心のある方はそちらも是非。

謹賀新年、新年快樂、Happy New Year!

明けましておめでとうございます。

昨夜はyoutubeで、台北、桃園、台中、高雄の跨年音楽会を見て過ごしました。
日本時間の午前一時、台湾が新年が迎える瞬間は台北の様子を見ました。台北101の花火を見たかったからです。
香港でも花火が盛大に打ち上げられますが、こちらは生で何度か見たことがあります。残念ながら、台北はまだ現地では見たことがないので、気分だけでもと頑張って起きていました。
その花火の様子がこちらです。


これは、公式映像です。音楽会の途中でこれが入りまして、この後、SHEが出演していましたが、途中で寝てしまいました。

香港の様子は、こんな感じ。観光局による公式映像です。


ビルだけとってみると、台北の方が凄いですが、香港の場合は広範囲にわたって打ち上げられますので、これは甲乙つけがたいですね。

【二ュースと旅行】中国がロケット長征3Bを打ち上げた西昌ってどんなところ?

中国は現地時間12月2日午前1時半、月面探査機「嫦娥3号」を搭載した大型ロケット「長征3B型」を、四川省の西昌衛星発射センターから打ち上げました。
どうやら、予定の軌道への投入にも成功したようです。「嫦娥3号」は、着陸機と「玉兎」と呼ばれる月面探査車から成り、計画通り行けば、12月中旬に月面に軟着陸し、探査を開始する見通しだと言います。
中国には現在、4つのロケット発射場があります。

・酒泉衛星発射センター(甘粛省酒泉)
・太原衛星発射センター(山西省太原)
・文昌衛星発射センター(海南省文昌)

そして、 今回の

・西昌衛星発射センター(四川省西昌)

です。文昌ができるまでは、最も南に位置する発射場だったので、静止軌道への投入は、専ら西昌の役目でした。

実は、もう十数年前ですが、私はこの西昌衛星発射センターを訪れたことがあります。その時の写真をお見せしながら、少し西昌をご紹介しましょう。
この西昌という土地は、発射場の標高も1500m程度という高地で、周囲を山に囲まれていながら、四川省第二の大きさを誇る「邛海」という湖も有り、風光明媚な土地です。古来より、彝族の住む土地で、立派な「彝族博物館」も作られています。

彝族博物館

さて、それでは、発射センターの方に話を移しましょう。


これが「航天城」、入り口です。
敷地の中には、色んなオブジェが置かれています。

火龍出水


こちらは、「火龍出水」という明代に作られた、多段式の艦/地対艦ミサイルのオブジェです。
そのほかに、火星人なんかもいます。

圧巻は、古代からのロケット技術を総まとめでレリーフにしたこちら。

真ん中に、ひときわ高く掲げられているのが、明の高官・萬戸(王富)。人類で初めて、ロケットで空を飛ぼうとした人物と言われています。

萬戸(王富)


イギリスの科学史家ジョゼフ・ニーダム (1900-95) の大著『中国の科学と文明』に記載され、一躍有名になりました。1970年には国際天文連合 (IAU) によって月の裏側、南緯9.8度・西経138.8度にある直径約52kmのクレーターにその名がつけられました。
さて、そして、これが発射台です。

実は、西昌衛星発射センターは軍の管轄で、発射台周辺と管制施設は見学はできますが、撮影禁止です。このときも、発射台のすぐ近くまで行きましたし、管制室も見学しましたが、撮影はできませんでした。
この見学は1997年の8月で、実は長征ロケットの打ち上げが再開されてから一年と経っていない時期でした。何があったのかというの、前年の2月14日、インテルサット708を搭載した長征3B型1号機が打ち上げ直後にコントロールを失い、近郊の市街地に落下し、500人以上が犠牲となる史上最大の惨事が起こっていたのです。

 原因の究明と改良が行われ、その年の10月には、打ち上げが再開されました。

今回の打ち上げも同じ「長征3B型」です。つまり、十数年の事故を乗り越えて改良と運用実績を積み重ねてきた「枯れた」ロケットだったわけです。その点では、手堅い打ち上げだったと行っていいでしょう。

【ニュース】周杰倫(ジェイ・チョウ)スマホが登場!

日本では、「SO-04E Xperia A feat.HATSUNE MIKU」が話題になりましたが、最近、中国大陸では芸能人が携帯・スマホを作らせるというのが流行っているらしい(※)です。そしてついに先日は周杰倫スマホが発表されました。周杰倫はネットゲームやソーシャルネットサービスを提供する「UCAN」という会社に出資しているらしいのですが、その会社から「Ucante」というブランドでスマホを発売するということのようです。第一弾となる「Ucante U1」は、 ARM「Cortex-A7」クアッドコア、OSはAndroid 4.2.1、ディスプレイは6.5インチ1080P Full HDで、内蔵メモリは2GBのRAMと32GBのROM、カメラが1300万画素。ということですから、今となってはエントリーモデルと言えるでしょう。他に、ゲームとテレビアプリが搭載され、周杰倫の写真が入ってくるようです。お値段は2999元、約4万5000円といったところですね。

※ 韓国「Super Junior」の韓庚の「庚phone」は2780元。アマゾンでは黄色の限定版5000台が販売されたとか。大陸ロックのパイオニア・崔健は4月に「藍色骨頭」を発売、写真、mp3、MVなどが入っている要です。価格は3988元。名前は彼の曲「藍色骨頭」からとっていますね。

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直訴~ベロ出しチョンマ~神になった日本人

今、世間では直訴が話題です。田中正造は有名ですが、比べるのは失礼というものでしょう。
 将軍への直訴というのは、よく時代劇の題材にもなりますが、斎藤隆介の児童小説「ベロ出しチョンマ」もこれが一つのテーマになっています。この名作の元になったのが佐倉惣五郎。
 惣五郎は下総国佐倉藩の公津村(今の千葉県成田市台方)の名主で、藩主・堀田氏の苛政を将軍への直訴、妻子とともに死罪となり、死後に堀田氏を祟りました。堀田氏は改易、後に同族が佐倉藩に入封、惣五郎を祀ったことから、広く信仰されるようになったようです。
 怨念を残した人を慰めるために神として祀るというのは、日本人に特徴的なことではないかと思われますが、庶民というのは珍しいです。それでも、小松和彦氏の『神になった人びと』知恵の森文庫(2006)では、惣五郎とならんで増田敬太郎が紹介されています。
 増田敬太郎は佐賀県の警察官です。1895年10月21日、敬太郎はコレラが発生していた入野村高串(今の唐津市肥前町)に赴任し、予防法や衛生管理などを住民に説いて回りますが、23日にコレラを発症し、翌日「高串のコレラは私が背負って行きますからご安心下さい」と言い残して亡くなりました。
 その後、言葉どおりコレラが収まり、その献身的な行為に感銘を受けた村人は、秋葉神社の境内に敬太郎を祀りました。それが今の「増田神社」です。
 この増田敬太郎と同様に、庶民のために尽くして神となった警察官が、ほぼ同時代の台湾にいました。森川清治郎です。1897年、台南県大坵田西堡副瀨庄(今の嘉義県東石郷副瀬村)に赴任した清治郎は、半農半漁のこの村で治安維持のみならず、読み書きを教え、公衆衛生の大切さを説き、村人から慕われました。1901年に漁業税が制定されると、役所に税の減免を嘆願、住民を扇動するとは不届きと訓戒処分に処せられ、1902年4月7日、自分の至らなさを村人に詫びて自殺しました。
 1923年、村にコレラなどの伝染病が流行した時、村長の夢枕に清治郎が現れて助言を告げます。その結果、村は救われました。村人は、清治郎に感謝し、「義愛公」と称して祀りました。
 今も祭事は続けられていて、森川家が途絶えたので、妻・兜木ちよ一族の方が時折参られています。
 ちょっと有名な方では、昭和天皇の万年筆のペンニブを作った兜木銀次郎氏、その大甥で『ヱヴァンゲリヲン研究序説』の著者・兜木励悟氏がいらっしゃいます。

​ 今回、これをまとめるにあたって、検索してみて、​兜木励悟氏が本年1月2日になくなっていたことを知った。十五年くらいお会いしないままに、お別れになってしまった。どうして見落としていたのか。
どうか安らかに。

【ニュースと落語】刺されると死ぬ恐れもある猛毒の貝が徳島沖で発見!

タガヤサンミナシガイ(出典:wikipedia)

今回、徳島県海部郡牟岐町沖で見つかったのは、イモガイ科の「タガヤサンミナシガイ」。イモガイ科の貝はいずれも毒を持っており、最も猛毒の「アンボイナガイ」では、毒の半数致死量は0.012mg/kgで、インドコブラ(0.45mg/kg)の約37倍、世界最強の毒ヘビ・インランドタイパン(0.025mg/kg)の約2倍です。「タガヤサンミナシガイ」もそこまでではありませんが、猛毒を持っています。
先日は、高知県東洋町沖で「アンボイナガイ」が見つかっていますが、日本にはイモガイの仲間は100種以上が主に紀伊半島以南に生息しているそうなので、種類全体では、わりと普通にいるようです。

アンボイナガイ(出典:wikipedia)

イモガイの仲間は、里芋に似た形の非常に美しい模様の貝を持っています。そのために捕ろうとしたダイバーが刺されて死亡する事故もあるようなのですが、このどう区切って読んでいいのか分かりにくい「タガヤサンミナシガイ」も美しい貝です。漢字で書くと「鉄刀木身無貝」ですので、「タガヤサン・ミナシ・ガイ」となります。
鉄刀木は、マメ科の高木で、材は黒色で、柾目にすると非常に美しい模様が現れます。非常に堅くて重いのが特徴です。鉄刀木という字も、鉄の刀のように重くて堅いというところからきています。家具やステッキなどの材料として使われています。実は落語の中にも登場しています。

「わたい、松屋町の加賀屋佐吉方から参じましたんやが、先度、仲買の弥一が取り次ぎました道具七品のうち、祐乗・光乗・宗乗三作の三所物、ならびに備前長船の則光、横谷宗珉四分一拵え小柄付きの脇差。あら、柄前が鉄刀木やとの仰せにございましたが、埋もれ木やそぉにございまして木が違ぉておりますので、この旨ちょっとお断りを申しあげます。ならびに、黄檗山金明竹、寸胴切りの花活け、のんこの茶碗。古池や蛙飛び込む水の音、と申します。これは風羅坊正筆の掛け物でございまして。沢庵禅師の一行物には隠元・木庵・即非、張り交ぜの小屏風。こら、うちの旦那の檀那寺が兵庫にございましてな、この兵庫の坊主のえらい好みまする屏風じゃによって、表具へやって兵庫の坊主の屏風にいたしました。と、かよぉお伝えを願います。」

と、「金明竹」に、刀の柄の材料として出ています。この猛烈な早口の言い立てですが、嘘やでたらめはまったくありません。「落語は丁稚の耳学問」とはよういうたもんです。

金明竹
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【歳時記と落語】豆腐の日

10月2日は、語呂あわせで「豆腐の日」やそうです。夏は冷奴、冬は湯豆腐、まあ豆腐自体には特に季節というようなもんはありませんので、語呂あわせでも何でもええんでしょう。
豆腐というのは、中国から伝わったもんです。発明したのは前漢の淮南王・劉安という説がありますが、これは16世紀の『本草網目』に「豆腐之法,始於淮南王劉」とある記述を根拠としておるんですが、実際にはもっと後になってできたもんのようです。
日本に伝わった時期もはっきりしまへんが、少なくとも12世紀の末頃には、文献に「豆腐」の文字がみえることから、平安時代には入ってきていたらしい。しかしながら、豆腐が庶民の食べ物として浸透するのはなんというても江戸時代です。
 江戸時代というのは庶民が食を楽しむようになった時代です。『料理物語』など、数多くの料理書も出版されるようになりました。中でも、素材にこだわった料理書に《百珍物》と呼ばれるもんがあります。卵やったら卵料理ばっかり百種類載せてるんですな。その先駆けになったんが、天明2年(1782年)に刊行された『豆腐百珍』です。これはえらい評判やったらしく、続けて『豆腐百珍続編』『豆腐百珍余録』が出版されてます。
 豆腐の噺というと、「ちりとてちん(酢豆腐)」「田楽食い(ん廻し)」がありますが、これは前に紹介したんで、「甲府い」を。

ある豆腐屋の主人が、店に出てみると、店の者が若い男を殴りつけている。おからを盗んで食べたのだという。そのままで食うようなものでもないおからを盗んだというと、よほどの事情でもあるのだろうと、聞いてみますと、この男、名は善吉と言いまして、甲府の在の者。早くに両親を亡くして伯父夫婦に育ててもらいましたが、一廉のものになって恩返しがしたいと、身延山で願掛けをいたしまして、江戸へ出てまいりました。ところが、浅草寺で財布をすられて無一文になり、つい出来心で、おからを盗んでしまったのだという。
事情を聞いた店の主、境遇に同情し、また同じ法華宗、また店の若い衆が辞めないと行けないということもあって、住み込みで働かせてやることにいたします。
仕事はといいますと、豆腐の行商でございます。
まずは、売り立ての声を教えます。
「豆腐ぃ、ゴマ入り、がんもどき」
 それから三年間、陰日向なくまじめに働きます。愛想もいいし、声もいいというので、お客さんの評判も上々です。
 仕事ぶりに主も喜び、一人娘も年頃とあって、祝言をあげさせます。
 それから夫婦で仕事に励みまして、店はますます繁盛いたしまして、やがて年寄り夫婦は悠々隠居の身の上となります。
 そんな、ある日善吉は、伯父伯母への報告と身延山へのお礼参りを兼ねて、女房をつれて甲府へ里帰りすることにいたします。
 その様子を見た近所のもんが
 「どこまで行くんだい?」
と、聞きますと、善吉が、
「甲府ぃ。お参り、がんほどき」

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【歳時記と落語】ラマダンと夏の蟹

8月7日が立秋で、ここから暦の上では秋とはいうものの暑い日が続きます。そんなわけで、この日からは時候の挨拶も残暑見舞いになります。梅雨明け宣伝も立秋までに出されることになってまして、えらい長梅雨で立秋を越えてしもうたら梅雨明け宣言は出えへんのやそうです。
翌8日は、ハリ・ラヤ・プアサ(hari raya puasa)、またはイードアルフィトル(Eid Al’Fitr)と呼ばれるイスラム教徒のラマダン明けを祝うお祭りです。今年のラマダン(断食月)は7月9日からでしたから、ちょうど一ヶ月が断食期間やったことになりますな。一ヶ月も断食やなんて死んでまうやないかい、とお思いの方もあるやもわかりまへんが、ラマダンの断食というのは日が昇っている間だけなんですな。夜があけて日が暮れるまでが一日、時計も何にもない自分の感覚ではそうでしょうな。夜は勘定に入ってない。せやからラマダンの期間、イスラム教徒の人は日が暮れてから飲み食いをします。もう日中の間の空腹と我慢を追い払うように食べますんで、普段よりもラマダンの方が却って肥るてな手合いもようけいはるそうです。
ちょうどこのラマダンの時期が旬という、なかなか皮肉な蟹がおります。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
珠江河口の汽水域にある潮溜まりに棲むワタリガニの一種の「黄油蟹」という蟹で、6月下旬から8月半ばにだけ出回ります。潮溜まりという浅いところで、暑い盛りに日光浴でもするのか、蟹ミソが溶けて全身に周り、白い肉が黄色う染まってるのが特徴です。蟹ミソもまことに濃厚で、上海蟹よりもこっちの方がうまいという人も多いですが、いかんせん季節限定で養殖もしてないので数が少ないというので、やや高いのが玉に瑕です。日本でも食えんことはないですが、広東料理のレストランに聞いてみましたところ、日持ちがせんのを空輸せんならんというので、一杯7万円くらいからという値段になるそうです。もちろん、これは蟹だけの値段です。香港ですと、800~1400HKDくらいですな。
落語の方で蟹というと、「叩き蟹」というのがあります。
お江戸日本橋のたもとに、黄金餅という名物を売る餅屋がありました。あるとき、一人の旅人が通りかかりますと、子どもが主から折檻を受けております。聞けば、父親が怪我、母親が病気、腹が減ってつい出来心でくすねようとしたといいます。
「情けをかけちゃあ、ガキのためにならない」
そういう主をなだめて、旅人は、子供に餅をご馳走して土産にも買ってやりますが、金を払う段になって、財布がないことに気がつきます。
餅代百文の担保に、木で蟹を彫っておいて行きます。
腹立ち紛れに、主がキセルで蟹を打ちますと、なんとこれがまるで生きているように横に這い出した。これがたちまち評判になりまして、店は大繁盛。
二年後、旅人がやってきて百文を払って子供の消息を尋ねます。
直ぐに医者を呼んだが、母親は助かったものの父親は亡くなり、これも何かの縁と、この餅屋で働くようになり、一人前に仕事をしてくれているので、今は主も楽が出来ると喜んでいるという。
「かけた情けが回ってきたじゃないか。これが情けは人のためならずってことだよ」
旅人の言葉に主も頷きます。主が名前を聞いても旅人は応えません。
そこへ餅を運んできた子供、昔父親が言っていてことを思い出します。フラッと現れてはいい仕事をして去っていく職人の名前を。
そう、実はこの旅人、飛騨の匠・左甚五郎です。
「切り餅も名物だよ。食べておくれ」
甚五郎が一切れ取ろうとしますが、繋がっております。
「おやおや。まだ修業が足りないねぇ」
「すいません。庖丁を持ってまいります」
これを聞いた蟹、つつと這いよって、はさみを差し上げ、
「使ってくださいな」

蟹の噺というのは、他には「庭蟹」という噺もありますが、いずれも江戸落語です。上方では「抜け雀」を改作した桂文太の「抜け蟹」があるくらいですな。
この「叩き蟹」は江戸落語では一つのジャンルになっている左甚五郎物の一つです。「竹の水仙」「ねずみ」と基本的な流れは同じです。

これは木彫りやのうてからくりですが。

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【歳時記と落語】夏の土用の千両みかん

 立秋前の18日間が夏の土用ですんで、今年は丑の日が7月22日と8月3日と二回あります。段々と不漁になって値段も上がってますんで、何も無理して食べる必要もないとは思いますが、これも気のもんですんで、なかったらないでなんとのう寂しいもんです。ほんまにウナギが美味しい季節やないそうなんですが、まあもう旬という感覚ですな。
 旬のもんというと、ウナギは人気で高うなりますが、たいていの場合はようさんとれまっさかいに値が下がります。一番ええ時期が一番安い、買う方にとってはありがたい話ですが、売る方は高いう売りたいのが人情です。先日、「ワールドビジネスサテライト」という番組の「旬をずらして需要をつかめ!」と題した特集で。愛媛県愛南町のみかん生産・販売会社の話をやってました。夏が旬の「河内晩柑」を冷蔵保存して、柑橘類の少ない秋に売るというんですな。値段は旬の1.5倍から2倍になるんやそうです。
 さて、落語の方に参りましょう。夏の土用のお噺はといいますと、「千両みかん」というのがあります。
 さる船場の若旦那が、なんやわけのわからんような病気になって明日をも知れぬということのなった。親旦那の言いつけで、番頭がようよう聞き出してみるとみかんが食べたい、というんです。一種の気の病ですな。この出だしは恋わずらいの「崇徳院」によう似てますな。
 それを聞いた番頭どん、なんやそんなことですかいな、この部屋みかんで埋めてご覧に入れますと、軽うに請け負うて、親旦那に報告したします。
「番頭どん。こなた今日、幾日じゃと思てなさる?
「幾日じゃと思てなさるて、六月の二十四日」
「さぁ、土用の最中じゃ。どこ探して蜜柑がある?」
「あっ!」
「あっ、やないがな」
 さあ、番頭は青うなって店を飛び出しますが、みかんというたら冬のもんですな。あろうはずがおまへん。散々探した末に、天満の赤物市場に年中みかんを囲うてる店が一軒あると聞いて、最後の頼みとやってまいります。赤物市場というのは青物市場の間違いやないかとお思いかもわかりませんが、昔は野菜を青物、果物を赤物というたんです。
 蔵を見てもらいますと、陽気が続いたんでみな腐って汁が流れ出ております。一番ましな箱を開けてみますと、たった一つだけ残っておりました。事情をしった店の主はタダでええと言いますが、番頭も高いのは承知、金に糸目はつけしまへんと返します。すると店主、千両の値をつけます。驚く番頭に店主は言います。
「手前ども、長年この天満で商いはいたしとりますが、人さんの足元に付け込むような商いだけは、ただの一度もいたした覚えございません。手前ども、毎年腐んのを承知でこうして蜜柑を囲います。みな腐らせてしもうたら、今年も暖簾に元を入れた、と思うてあきらめますが、たとえ一つでも残りましたら商人冥利、一文も損はよういたしまへん。千箱のうちの百箱、百箱のうちの十箱、十箱のうちのひと箱、ひと箱の内から、たとえ一つでも残りましたら、千箱の値をみな、掛けさしてもらいます。蜜柑一つ千両、高いことはございませんやろ?」
 言い分はもっともですが、千両はだせんと、店へ帰って親旦那に報告いたしますと、息子の命が掛かっております。「千両、安いもんや」と番頭に千両箱かつがせてみかんを買いにやります。
 持って買えって若旦那の前で向いてみますと、十袋入っております。嬉しそうに食べた若旦那、
「おいしかった。番頭どん、おおきありがと。わたいの病気はこれですっかり治った。三袋残ったある。ひとつはお父っつぁん、ひとつはお母はん、あとのひと袋は番頭どん、おまはん食べとくれ」
 手渡されて廊下に出ました番頭、
「蜜柑一つに千両、これだけでも三百両や。十三の時からご当家へ奉公に寄せてもろて、来年は暖簾分け。その時出してもらえるんが、よう出してもろて五十両。二十年の汗と油が五十両、この蜜柑三袋が三百両。えーい、ままよっ!」
と、番頭め、蜜柑三袋持って、どか行てしもた。

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