月別アーカイブ: 12月 2013

上海紀行その1 空港から新天地

久々の上海です。およそ二年ぶりでしょうか。
今回は、中国東方航空で入ってきました。関西国際空港発が9時40分、上海の浦東国際空港についたのは11時半頃です。着陸自体はもっと早かったのですが、ターミナルまでが随分と時間がかかりました。
空港から市内までは、やはりまずは「上海トランスラピッド」、通称「上海マグレブ」に乗らないといけませんね。

最高時速430km。片道一人50元ですから、地下鉄の10倍ほどですが、当日の航空券があれば片道40元に割り引かれますし、時間の短縮にもなるので、元は十分取れると思います。帰りに荷物が多くなってしまた場合などは、時間によっては龍陽路駅までの地下鉄が混むことがあるので、その場合はタクシーやリムジンバスを使った方がいいかもしれません。

これで、龍陽路駅まで約8分です。龍陽路駅から地下鉄2号線で南京東路駅まで行き、10号線に乗り換えて新天地駅まで行きました。新天地駅は地下でショッピングセンターの「新天地時尚」と直結になっています。更に「新天地時尚」の2階から、向かいの「新天地南里商場」に連絡通路があります。

今回のホテル「88新天地」は「新天地南里商場」の向かいの建物なので、このルートだと段差と階段は最小限ですみました。部屋は、パーク・ビューということで一応黄陂南路を挟んだ「太平橋公園」が見える部屋を取りましたが、実際には公園はぎりぎり見えるくらいで、ほぼ北向きでした。新天地南里、新天地北里、ザ・ランガム新天地、K11が一直線に見えます。

「88新天地」は7階建てで全53部屋。1階はフロントとオフィス、3階は一部がクラブラウンジになっているので、各階十数部屋ということになります。スパやレストランは、利用できますが、設備としてはありません。すぐ近くにある同系列の「ザ・ランガム新天地」のスパ「川」やレストラン「唐閣」を、「ザ・ランガム」の宿泊客と同様に使うことができます。

さて、それでは、部屋を後にして散策に行きたいと思いますが、生憎と当日はこのような有様でした。

Pm2.5が猛威を振るっていました。

久々の上海 1

通算では6度目くらいの筈ですが、暫く来ていなかったので、随分と様子が変わっています。
今回の目的地は新天地。連れ合いが、mt store at monosociefy ShangHai に来たがったので、随行カメラマンという格好です。
会場が新天地站近くのショツピングセンター「新天地時尚」中にある「物心 monosociefy」というお店なので、新天地南里にある「88新天地」というホテルをとりました。ここはランガム系で、部屋数が少なく、施設もクラブラウンジしかありません。ですから、近くにある「ザ・ランガム新天地」のレストランやスパを使うことができるようになっています。
ここからだと、「物心」までは新天地のショツピングセンターから連絡通路を通って新天地時尚へ行け、しかもお店のすぐ前に出られます。

写真がうまくあげられないので、つづきは改めて。

【歳時記と落語】日本のォォ積雪はァァ世界一ィィィ。颪もやっかいです。

12月に入りました。7日は「大雪(たいせつ)」、雪がいよいよ降り重なるという時期で、鰤など冬を代表する魚も旬を迎えます。先日から日本でも寒さが本格化してきましたが、南国・台湾にも11月末から大寒波が到来、、普段は最高気温が20度を上回る台湾で、日中15度前後、夜間は10度を下回る冷え込みになり、30人を越える死者が出たそうです。
大雪というと、日本で一番の積雪を記録したのがどこか知ってはりますか。
北海道? いえ、北海道は寒さは厳しいんですが、積雪は思ったほどやないんです。
新潟? 確かに毎年の積雪は大変なもんです。
富山? 立山の雪壁の中をバスが走る光景は有名ですな。

一般的に、日本海側の北陸・東北地方は豪雪地帯でっさかいね。このあたりやと思うのが当然ですわな。

ところが、実は、滋賀県なんです。琵琶湖の東岸に聳える「伊吹山」、ここで1927年2月14日に記録された1182cmが観測史上世界一の積雪です。
滋賀県は盆地で、この伊吹山をはじめ、比良山や比叡山などに周りを囲まれております。そこから吹き下ろす強風で、予想事情に寒いんです。「ひこにゃん」でお馴染みの彦根市も、伊吹山からの「伊吹颪」で寒く、昔は数十センチの積雪は普通やったそうです。
同じように盆地の京都も底冷えは有名ですな。
比良山から琵琶湖に吹き下ろす「比良颪」のおかげで、JR湖西線は防風柵が設けられておりますが、よう停まります。1941年4月には、旧制第四高等学校の漕艇部が遭難して死者11名が出る水難事故も起こってます。
もう少し南の比叡山からも「比叡颪」が吹き下ろしてきます。琵琶湖だけやのうて、反対側の京都へも吹き下ろします。
「足摺岬」で知られる作家・田宮虎彦の作品にも「比叡おろし」がありますし、小林啓子の歌も有名ですな。
この「比叡颪」も琵琶湖では悪さをした。麓が浜大津、ちょうど対岸が「矢橋」。琵琶湖を渡る矢橋船が出るところです。
さて、京のさる商家に清吉という若旦那がおりました。よう落語に出てくる道楽息子やのうて、頭もええし、才覚もある。ところが玉に瑕やというのが、えらい悋気深いたちなんですな。嫁さんでももろうたらましに成るかと思うたら、嫁さんが被害者になるだけ。そこで、理で諭したら、なおるんやないかというので檀那寺へ預けることにいたします。
一年して帰ってくると、元来頭のええひとですから、すっかり人間ができあがった。
ところが、それに安心したのか、おとっつぁんがコロっと逝ってしまいます。懇ろに弔いをいたしまして、更に一年、勉強をいたします。すると今度は、檀那寺の和尚さんが病の床に伏してしまいます。
和尚さんは枕元へ清吉をお呼びになった。
自分にはたった一つの心残りがある。それが清吉。八分かた仕上がってるが、まだ二分ほど足らん。これでは仏造って眼入ず。このままでは成仏できない。そこで、悋気が起きた時、困ったことができた時の為に「指南書」を書いた。これをよう守るように。
そうおっしゃって和尚は大往生いたします。
ある日のこと、草津のおじのところへ、五十両という大金を届ける用事ができた。初めての旅で大金を持ち歩いているんですから、道行く人がみな盗人に見える。しかも、方向が同じやという男が声をかけてきた。盗人に目をつけられたか、困ったな、と思ったところで思い出したのが、和尚の指南書。
開けてみますと、「旅は道連れ、世は情け」と書いてある。教えに従うて、二人連れになって浜大津までやってまいります。ここから船が出ておりまして、船頭が客を呼んでおります。道連れの男が乗っていこうと誘います。
指南書には、「急がば回れ」。船を断って陸伝いでやってまいりますと、大雨が降ってきます。
「急がずば濡れざらましを、旅人のあとより晴るる野路の村雨」
大したもんで、指南書通りにゆっくりしていると、すっと晴れてきます。
夕方過ぎまして、おじさんのところに着きまして、無事五十両を渡します。陸路できたことを話しますと、
「よう船に乗らんかったこっちゃ。最前の大雨は比叡颪という奴や。矢橋船が三艘転覆してしもうてな、だれもたすからなんだちゅうはなしや」
これを聞いて清吉、浜大津で別れた男のことを思い出して、見に行きますと、やっぱり亡骸になっておりました。
矢橋船の話が伝わりますと、嫁さんが心配するやろうと、泊まっていけというおじの誘いを断って京へ帰ります。帰りがけに土産に「うばが餅」を買うていきます。
夜更けに帰り着いてみますと、明かりが付いている。そっと中を覗いてみると、頭が二つ。片一方はまだらはげ。さては間男でもしよったか、と思いますが、念のために指南書を開けてみますと、
「なる堪忍は誰もする ならぬ堪忍、するが堪忍」
それは殺生や、和尚も間違えるかもわからんともう一度開けてみますと、今度は、
「七度尋ねて人を疑え」
中に入って問い詰めてみますと、嫁の母親です。歳をとったせいで髪が抜けてきてまだらになったんですな。
翌朝、義母に詫びを言うて、三人で土産の「うばが餅」を食べようとすると、変な臭いがする。昨日買うたもんが腐ってるはずはないんやがな、おかしいなと思うて、指南書を開けてみますと、
「 うまいもんは宵に食え」

この草津名物「うばが餅」、今も草津にお店がございます。創業四百年を越えるんやそうです。同じように古うて落語に縁のあるお店が、同じ滋賀県にございます。もぐさの製造販売を行っている「亀屋佐京」です。

江州伊吹山のほとり
柏原 本家亀屋左京
薬もぐさ よろし

今で言うCMを作って、これが江戸まで聞こえたといいますな。

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【二ュースと旅行】中国がロケット長征3Bを打ち上げた西昌ってどんなところ?

中国は現地時間12月2日午前1時半、月面探査機「嫦娥3号」を搭載した大型ロケット「長征3B型」を、四川省の西昌衛星発射センターから打ち上げました。
どうやら、予定の軌道への投入にも成功したようです。「嫦娥3号」は、着陸機と「玉兎」と呼ばれる月面探査車から成り、計画通り行けば、12月中旬に月面に軟着陸し、探査を開始する見通しだと言います。
中国には現在、4つのロケット発射場があります。

・酒泉衛星発射センター(甘粛省酒泉)
・太原衛星発射センター(山西省太原)
・文昌衛星発射センター(海南省文昌)

そして、 今回の

・西昌衛星発射センター(四川省西昌)

です。文昌ができるまでは、最も南に位置する発射場だったので、静止軌道への投入は、専ら西昌の役目でした。

実は、もう十数年前ですが、私はこの西昌衛星発射センターを訪れたことがあります。その時の写真をお見せしながら、少し西昌をご紹介しましょう。
この西昌という土地は、発射場の標高も1500m程度という高地で、周囲を山に囲まれていながら、四川省第二の大きさを誇る「邛海」という湖も有り、風光明媚な土地です。古来より、彝族の住む土地で、立派な「彝族博物館」も作られています。

彝族博物館

さて、それでは、発射センターの方に話を移しましょう。


これが「航天城」、入り口です。
敷地の中には、色んなオブジェが置かれています。

火龍出水


こちらは、「火龍出水」という明代に作られた、多段式の艦/地対艦ミサイルのオブジェです。
そのほかに、火星人なんかもいます。

圧巻は、古代からのロケット技術を総まとめでレリーフにしたこちら。

真ん中に、ひときわ高く掲げられているのが、明の高官・萬戸(王富)。人類で初めて、ロケットで空を飛ぼうとした人物と言われています。

萬戸(王富)


イギリスの科学史家ジョゼフ・ニーダム (1900-95) の大著『中国の科学と文明』に記載され、一躍有名になりました。1970年には国際天文連合 (IAU) によって月の裏側、南緯9.8度・西経138.8度にある直径約52kmのクレーターにその名がつけられました。
さて、そして、これが発射台です。

実は、西昌衛星発射センターは軍の管轄で、発射台周辺と管制施設は見学はできますが、撮影禁止です。このときも、発射台のすぐ近くまで行きましたし、管制室も見学しましたが、撮影はできませんでした。
この見学は1997年の8月で、実は長征ロケットの打ち上げが再開されてから一年と経っていない時期でした。何があったのかというの、前年の2月14日、インテルサット708を搭載した長征3B型1号機が打ち上げ直後にコントロールを失い、近郊の市街地に落下し、500人以上が犠牲となる史上最大の惨事が起こっていたのです。

 原因の究明と改良が行われ、その年の10月には、打ち上げが再開されました。

今回の打ち上げも同じ「長征3B型」です。つまり、十数年の事故を乗り越えて改良と運用実績を積み重ねてきた「枯れた」ロケットだったわけです。その点では、手堅い打ち上げだったと行っていいでしょう。