黄飛鴻~生平の事跡と銀幕上の傳説~

2014年3月25日は、中国南方の民族英雄・黄飛鴻が亡くなってから丁度90年である。奇しくも今年は新作映画「黄飛鴻之英雄有夢」が公開予定である。

そこで、黄飛鴻について、振り返っておく。

かなり以前に、書いた駄文に加筆したものである。

しかし、今となっては、大陸のドキュメンタリーもyoutubeで公開されている。

加えて、彭偉文「スクリーンに生きる英雄–黄飛鴻映画をめぐって」(神奈川大学日本常民文化研究所非文字資料研究センター・年報非文字資料研究 (7), 349-375, 2011-03)という優れた論考もある。

だから、改めて示すほどのものではないだろうが。

実在の黄飛鴻

黄飛鴻は実在の人物である。一名、飛熊(鴻と熊は広東語では同音)。1847年広州南海県西樵に生まれた。父は〈広東十虎〉の一人、黄麒英である。黄麒英は若い頃貧しく、街頭で武芸を売り物にして生活をしていた。ある日、洪家拳の陸阿采に見いだされて弟子となり、十年ほどでその神髄を得て、鎮粤将軍の兵の教練をつとめる。しかし、月に三両六銭という微禄であったため、靖遠街に薬店「寶芝林」を開いた。黄麒英ははじめ息子に学問をさせたく思っており、武術の修行をさせなかったとも言うが、黄飛鴻は幼い頃から父が他界する16歳まで、父・麒英に武術を学び、12歳の頃にはすでに家伝の武術をすべて修得してしまった。また、父の師である陸阿采にも師事したという。更に〈広東十虎〉の一人・鉄橋三の鉄線拳を、その弟子である林福成について学び、宋輝鏜から鉄線拳との交換教授で北派拳法由来の蹴り技の極意を習得した。あまりに素早く絶妙な黄飛鴻の蹴りは、〈無影脚〉と呼ばれた。又、獅子舞の名手で、獅王とも称された。

黄飛鴻は薬店「寶芝林」を父から受け継ぎ、各地を行商で廻った。その頃には「寶芝林」は広州仁安街26号に移転しており、更に黄飛鴻の代になって薬店兼病院兼武館という様相を呈するようになっていた。因みに「寶芝林」とは、夏重民の詩「宝剣出筺、芝草成林(宝剣筺を出ずれば、芝草林に成る)」から取ったもので、英雄いるところ必ず栄えるという意味である。ここで黄飛鴻は多くの門弟に武術を教え、医術で多くの人々を救う一方、南澳総兵に任じられた劉永福に招かれ、〈黒旗軍〉でも武術の基礎を教授した。また一説には、台湾守備を命じられた劉永福に従い、黄飛鴻も台湾に渡って抗日運動に参加していたという説があることも付け加えておく。

なお、黄飛鴻の弟子である林世栄や陳殿標も、各地の軍で教練を勤めた。

〈黒旗軍〉将軍劉永福の元を去った後は、薬業に専念し、民国に入る頃には、民団(民間の自衛組織)の教練を務めていた。しかし、それが後に、長男漢林を失う遠因となってしまう。黄漢林は父に学んだ武芸を生かし、民間の自衛組織・保商衛旅栄の護勇(警備会社のガードマンのようなもの)を務めていたが、同僚のといざこざの末、酒に酔ったところを拳銃で撃ち殺されてしまったのである。
ここで、一つのエピソードを紹介しておこう。民国時代、黄飛鴻は一度香港に渡ったことがある。「寶芝林」の分館を開いていた弟子陸正剛に招かれてのことだった。しかし、陸正剛の弟子がトラブルに巻き込まれているのを知り、解決に乗り出した黄飛鴻は多くの人に怪我を負わせてしまい、広州に帰らざるを得なくなってしまったのである。因みに、林世栄と凌雲階は、逆に広州で敵を得て相手に怪我を負わせ、広州にいられなくなり香港に脱出した。

1923年、広州の商団(商業金融業者の武装自衛組織)が政府の弾圧と強制武装解除に反発しついに反乱を起こした。その被害は仁安街にも及び、「寶芝林」も焼失してしまう。その失意の為か、黄飛鴻も病に倒れる。そして、翌1924年、野において多くの人々に、武術をもって自強愛国を諭し、医術薬術をもって貢献し、為に民衆に愛された黄飛鴻は、城西方便病院で病没した。享年77歳であった。彼の亡骸は弟子の手で広州観陰山の山頂に葬られた。

黄飛鴻の人生は混乱期に生きた人にふさわしい波乱に満ちていたと言えようが、不幸なことに、それは彼の家庭の中にも及んでいた。黄飛鴻は、生涯に四人もの妻を娶っていが、一人目の羅氏は結婚後わずか三ヶ月で病を得て鬼籍には入ってしまった。次に結婚した馬氏は、漢林・漢深の二子を生むが、またも病没。そして、前述の通り、長男漢林は民団絡みのトラブルに巻き込まれて殺されてしまった。三人目に娶った岑氏との間にも、漢枢・漢煕の二子が生まれたが、またもや妻に先立たれてしまう。そして晩年になって、弟子であった莫桂蘭を四人目の妻として迎える。後年、莫桂蘭は黄飛鴻の弟子たちと香港に黄飛鴻武館を設立し、黄飛鴻直伝の洪家拳を継承した。彼女は、1970年代に世を去るまで、武術指導と治療を続けており、まさに黄飛鴻の精神をも受け継いでいた。

さて、黄飛鴻は単に民衆に愛された在野の英雄というに留まらない。実に近代洪家拳の歴史において重要な存在なのである。彼がよくした洪家拳は洪熈官が創始したといわれる拳法であるが、現在伝わる洪家拳はその殆どが黄飛鴻の系統であり、その系統は香港を拠点としている。それには林世栄や凌雲階、馮栄標といった傑出した弟子を育てたこと、そして彼らが莫桂蘭とともに、香港で名を挙げ、多くの弟子を育てた事が大きな影響を与えているのだろう。蛇足ながら、現代香港映画界を代表するアクション指導の劉家良・劉家栄の父・劉湛も、黄飛鴻小説を発表した朱愚斎も、林世栄の弟子であり、現在日本で洪家拳の指導を行っている劉湘穂氏も林世栄系である。

その後の大きな動きでは、1996年に、黄飛鴻の故郷である広東省南海市の西樵山旅游度假区嶺西禄舟村に、彼を記念した「黄飛鴻獅藝武術館」が設立された。黄飛鴻の生家や「寶芝林」が再現されているほか、武術・舞獅・舞龍の表演や指導が行われている。

〈黄飛鴻〉電影

伝説のはじまり

さて、近代武術史上の巨人・黄飛鴻が電影史上のヒーローとなったのは、一つの偶然といくつかの必然によっていると言われている。

そのまえに、前史として、黄飛鴻物語の歴史を見ておこう。  1920年代、武侠・功夫電影が始まったのと相前後して、清代の侠義小説からはなれて、新しい〈武侠小説〉、今日〈旧派武侠小説〉と呼称される一群の小説群が登場する。その中に、南派少林寺の伝説に取材した作品を手がける作家たちが存在する。もっとも初期の作家に、1931年から、清末の『聖朝鼎盛万年青』に取材して南派少林寺『至善三游南越記』『少林英雄決戦記』などを著し、香港武侠紹介の鼻祖となった鄧羽公がいる。その鄧羽公の著作の中に『黄飛鴻正伝』があり、その影響を受けた作家たちの中に、林世榮の弟子でもあった朱愚斎がいた。朱愚斎は鄧羽公の『黄飛鴻正伝』の後を受けて、『黄飛鴻別伝』を著した。黄飛鴻の孫弟子に当たる人物の手になるだけに、その作品は真実をよく語っていると言われている。また、1938年に高小峰が広東語を交えた『黄飛鴻』を上梓し、広東語圏の人々に人気を博した。〈黄飛鴻〉電影誕生以前に、黄飛鴻の名は世に広まっていたのである。

それでは、話を電影に戻し、まずは一つの偶然から話をしよう。それは、黄飛鴻映画化にまつわるエピソードである。

1949年の秋、映画監督の胡鵬は友人の呉一嘯とともに、九龍から香港島に渡った。そこで彼がたまたま手にした「商工日報」に朱愚斎の黄飛鴻小説が載っており、そこには、呉一嘯がかつて黄飛鴻に師事したと書かれていた。驚いた胡鵬が側にいた呉一嘯に尋ねると、呉一嘯は武術など全く出来ないし、ましてや黄飛鴻に拝師したことなどない、朱愚斎の創作だ、と答えた。この一件にインスピレーションを得て、胡鵬は〈黄飛鴻〉電影を創ったというのである。

さて、呉一嘯が脚本家として協力し、シンガポール華僑温伯陵が資金面で協力することで、胡鵬は次々と〈黄飛鴻〉電影をヒットさせていき、羅志雄、王天林(のちに「黄飛鴻之鐵鶏鬥蜈蚣」を撮る王晶の父)、凌雲といった監督たちも〈黄飛鴻〉電影を手がけてゆく。1950年代には、全部で62本もの〈黄飛鴻〉電影が作られた。しかし、その内の53本が胡鵬監督作品であり、とくに1956年には、胡鵬一人で23本も〈黄飛鴻〉電影を撮っている。1960年代にはいると、胡鵬の後を受ける形で、王風が〈黄飛鴻〉電影をとり続けることになる。

そのヒットの背景には、いくつかの必然があった。

香港の人々の多くが、黄飛鴻と同じく広東出身であったことが挙げられる。郷土的な共感である。映画中によく登場する舞獅は黄飛鴻の得意であったが、これも広東の風習である。

次に、黄飛鴻は接骨医であり武術家であるので、医をもって人を救い、武をもって人を救うことが出来ることがある。つまり人物的な魅力と、幅広い物語展開の可能性とを内包していたとも言える。その反映の一つが、胡鵬によって映画が創られたとき、黄飛鴻物語はすでに新聞紙上で人気を博しており、多いときには七紙にも掲載されてたことである。映画のヒットはこの新聞紙上での小説との相互作用によるところも大きいと考えられる。さらにいえば、当時は黄飛鴻の弟子や孫弟子など、黄飛鴻を直接知る人々も多く、それらの人々が物語の源や観客となったことも考えられる。

銀幕の中の黄飛鴻

 1949年、胡鵬監督・朱愚斎脚本によって創られた記念すべき最初の〈黄飛鴻〉電影「黄飛鴻傳上集・鞭風滅燭」において、黄飛鴻に扮したのは、粤劇出身で南派拳法の高手關德興である。それ以降、1981年の「勇者無懼」まで、テレビシリーズまで含めれば關德興は劇場作品77本、テレビシリーズ13本で黄飛鴻を演じ続けることになる。さらに、映画を離れても「黄師父」と呼ばれていた關德興であるが、後年、漢方薬局を開業し、気功治療を行うなど、私生活でもまさに黄飛鴻さながらの活躍を見せた。

關德興版〈黄飛鴻〉には、香港功夫電影史上に名を残す俳優たちや後の監督たちが名を連ねていた。梁寛役には、300本以上の映画に出演したベテラン曹達華、林世榮役には、その弟子でもある劉湛、その他、李小龍主演の「龍争虎鬥(燃えよドラゴン)」で敵役のハンを演じた石堅、成龍主演の「酔拳」で師匠の蘇化子を演じた袁小田などが出演していた。のちに「武状元黄飛鴻(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地黎明)」で印象的な〈鉄布衫〉嚴振東を演じた任世官の姉である任燕もしばしば出演していた。また劉湛の息子で、後の名監督劉家良も、「黄飛鴻花地搶炮」「黄飛鴻怒呑十二獅」など多数に出演している。

後の映画界を支える才能を育んだという意味でも、關德興版〈黄飛鴻〉は、香港電影史上に偉大な足跡を刻んでいるのである。

更に重要なことは、關德興版〈黄飛鴻〉、すなわち胡鵬・王風版〈黄飛鴻〉は〈黄飛鴻〉電影のパターンを決定づけたという事実である。

黄飛鴻は、義侠的英雄、洪家拳宗師であり、伝統的武徳と民族的美徳、家父長的家族観念を体現する存在として描かれる。

黄飛鴻の本拠地として「寶芝林」があり、「尚武精神」と書かれた扁額、「我武維揚」「虎躍虎騰」と書かれた小扁が飾られている。

〈いたずら者〉の梁寛、〈出っ歯〉の爆牙蘇(「爆牙」が出っ歯という意味である)、〈馬鹿正直〉の猪肉榮(林世榮)などの弟子のキャラクター。

民間自警団の練武が登場する。

民族精神の象徴ともいうべき「将軍令」がテーマ曲として使われる。

はじめ悪の横行を忍んで耐え、最後に悪を討ち滅ぼすという勧善懲悪のストーリー展開。

ここで注目しておかなければいけないのは、黄飛鴻が理想の家父長として描かれているという点である。一方彼の弟子たちは人間的な弱点を特徴的に有している。「寶芝林」という家族・師弟関係の内部におけるもめ事は、必ず家長たる黄飛鴻が宥め教訓を加えることで解決される。外からふりかかるもめ事に対しても、まず黄飛鴻が解決に乗り出す。その際、まず礼をもって相手に接し、彼の〈武〉は、相手の非道がこれ以上は忍ぶことが出来ないと言う段階にいたって初めて用いられる。しかも、勝利の後には相手を赦し、その医術でもって癒し、善に導き、自ら悔い改める余地を残すのである。それは非常に儒家的な倫理道徳観である。つまり、ここの黄飛鴻は「仁義礼智信厳勇」の体現者なのである。

その後に作られた〈黄飛鴻〉電影では、自身も關德興版〈黄飛鴻〉に出演していた劉家良の監督した「陸阿采與黄飛鴻」「武館」が、この特徴をよく受け継いでいる。黄飛鴻-林世榮-劉湛-劉家良と受け継いだ真正洪家拳に基づくアクション指導が特色であり、「その映画には伝統的な武徳精神と家族観念を有している」と評されている。

1970年代末、すでに定着していた黄飛鴻=伝統的武徳の象徴という図式を覆した、革命的作品が登場する。袁和平監督・成龍主演の諧趣功夫片(コメディー・クンフー)第二弾「酔拳(ドランク・モンキー酔拳)」(1978)である。


南派拳法の代表格である洪家拳宗家の黄飛鴻が、典型的な北派拳法の酔八仙拳を得意としたはずはなく、その二つを組み合わせたことが「酔拳(ドランク・モンキー酔拳)」の、つまりは袁和平のオリジナリティと、我が国では言われていた。しかし、実は、關德興版〈黄飛鴻〉の一篇「黄飛鴻醉打八金剛」(王風1968)において、黄飛鴻は酔八仙拳を披露していたのである。しかも、猿拳を使う袁小田(「酔拳」で蘇化子を演じている)と戦っているのである!

「酔拳」が画期的であったのは、酔八仙拳の使用などではなく、老成した英雄的武術宗師という黄飛鴻の形象を一変させたことである。まず、まだ武術家として大成していない青少年期を描いたこと、そして、青少年期の黄飛鴻を「どら息子」として描いたことである(このあたりの設定は、成龍の親友である洪金寶監督・元彪主演の「敗家仔(ユン・ピョウINどら息子カンフー)」(1981)で、実在の詠春門高手梁賛を「どら息子」として描いているのと似通っていて面白い)。その設定によって、蘇化子による特訓場面を延々と見せるという演出も活きてくるといってよい。そして、成龍のコミカルな演技と相まって、「酔拳」は香港のみならず日本でも大ヒットを記録し、成龍を一気に大スターに押し上げた。

じつは、この「酔拳」登場の前年、黄飛鴻のイメージの一変を狙った作品群が作られている。それが、1977年に始まった13本のテレビシリーズである。

蔡継光、黄百鳴、黎偉民、高志森、黎永強、呉昊らのスタッフによって作られたこのシリーズでは、封建社会を軽視し、伝統に挑戦するという、今までとは180度転換した〈黄飛鴻〉のイメージが提示された。清末民初の動乱期という社会背景を絡めて、彼の弟子たちがいかにして帝国主義の侵略に抵抗し、甚だしくは五・四運動に参加し、革命に身を投じていったのかを描き出した。ちょうど、当時の香港では植民地支配に反対する学生運動が盛んな頃であり、そうした社会背景を反映していたと言えるだろう。一説には、そうした政治性は、自身が抗日運動に参加していた關德興の長年の意見でもあったという。

關德興、すなわち胡鵬・王風版が旧〈黄飛鴻〉の代表であるならば、新〈黄飛鴻〉の代表は、黄霑のアレンジによる「男兒當自強」も雄壮に登場した李連杰(および趙文卓)、つまり徐克監督作品〈ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ〉シリーズの〈黄飛鴻〉と言うことになるだろう。

 徐克は、まず復讐劇を一切排除し、単純な勧善懲悪の物語を拒絶した。かつての〈黄飛鴻〉電影が善と悪の衝突の物語であったとするならば、徐克の〈黄飛鴻〉電影は、中国と西洋との政治的軋轢と衝突を社会背景とする、保守伝統と近代西洋化との対立の物語であると言って良い。そして、黄飛鴻は医師としてあり武術家として名をなした存在という形象は維持しつつも、そうした社会状況の中で西洋近代文明や文化に接してとまどう青年という側面を与えられている。

例えば、「武状元黄飛鴻(天地黎明)」では、最大の対立勢力は中国人を奴隷として海外へ売りさばいていたアメリカ人商人たちである。また、冒頭に劉永福から「不平等条約」の扇子を託されることを見ても、中国と西洋の対立が大きな主題となっていることは間違いないだろう。そして欧米列強がもたらした鉄砲や、十三姨がもたらすカメラや洋服、西洋思想を前にして、黄飛鴻は「中国は変わって行くべきなのか」という悩みを抱えるのである。

また、単純な勧善懲悪の否定という側面の象徴として、対立構造の複雑化が挙げられる。上記の西洋と中国の対立に加え、西洋との対立という局面においては協力関係にあるはずの官憲とも、自衛団の教官としての黄飛鴻は対立してゆくことになる。また、その原因として黄飛鴻=自警団と沙河幇との江湖の衝突がある。しかも、この中で単純に悪として割り切れるのは沙河幇の連中だけである。沙河幇に助勢し、黄飛鴻と対決する〈鉄布衫〉の嚴振東との対立は、明らかに善と悪との二項対立では語ることが出来ない。嚴振東は伝統社会の代表者であり、名利を求める流浪者である。彼と黄飛鴻との差は実にわずかなものでしかない。劇中では描かれていないが、史実では黄飛鴻の父・麒英は、若い頃は貧しく、ちょうど嚴振東のように武芸を見せ物にして口に糊していた。また、嚴振東は決して黄飛鴻の〈敵〉ではない。彼が黄飛鴻によってではなく、西洋人の銃弾によって倒される事が、それを象徴的に物語っている。いわば、嚴振東は〈頑迷な中国〉という伝統社会の一側面の象徴であり、そういう意味において、かれは「負の黄飛鴻」である。

ここまでを纏めれば、徐克は黄飛鴻を中心において、西洋・官憲・民間との対立構造を作り上げ、その中で近代化を否定する〈頑迷な中国〉を批判していると言える。第二弾「男兒當自強(天地大乱)」においても、中国近代化の象徴ともいうべき孫文と黄飛鴻の交流を描いたことによって西洋と黄飛鴻との対立が無くなるという変化はあるが、西洋・官憲・民間の三者が互いに対立する構造は変わらない。民間の代表が、盲目的且つ狂信的に西洋文明の排除を行う白蓮教徒と、熊欣欣演ずる教祖九宮真人(クン大師)であり、官憲の代表が、中国の尊厳を守ろうとしつつも孫文に象徴される近代化を拒絶する、シリーズ最強の敵役・甄子丹演ずる納蘭元述提督である。現実問題としては孫文を悪として描くことはできないのだが、朝廷・官憲側から見れば、孫文は「革命」をもたらす秩序の破壊者であるから、納蘭元述が孫文と黄飛鴻の前に「敵」として立ちふさがったとしても、彼を「悪」とは言えまい。やはり、ここでも黄飛鴻と対立するのは〈頑迷な中国〉であって、決して単純な「悪」でない。よって、黄飛鴻も又単純な正義ではあり得ない。

ここで述べた徐克版〈黄飛鴻〉の形象は、かつての家父長的形象を払拭したものであり、清末民初という中国の動乱期を社会的背景として作品中に反映させている点において、一見1977年のテレビシリーズのそれに近いように思える。しかし、そこには歴然とした差違が存在している。1977年のテレビシリーズでは、伝統的な儒教倫理の体現者という衣は脱ぎ捨てても、黄飛鴻は絶対的な善であり、そこに自らの路程に対する悩みは存在していない。進むべき路は決まっているのである。一方の徐克版〈黄飛鴻〉では、黄飛鴻は絶対者ではない。進むべき方向についての不安も、悩みも、そして意地も存在している。端的に言って、「黄飛鴻は何処へ行くのか」に「中国は何処へ行くのか」を投影した物語、それが徐克版〈黄飛鴻〉である。徐克版は、李連杰3部作のの後、趙文卓主演で続けられ、TVシリーズではついに、辛亥革命以降までが描かれることになる。

徐克版〈黄飛鴻〉において、黄飛鴻の形象以外で注目すべきは、十三姨の存在である。

十三姨と黄飛鴻の恋愛の行方は、シリーズ全体のもう一つの主題となっている。十三姨は血の繋がりのない干姨媽とはいっても叔母であるから、彼女との恋愛は旧社会においては禁忌であるということを抜きにしても、黄飛鴻の恋愛が主題となったことはそれまでほとんどなかったのである。また、帰国子女であり、洋服を纏い、外国語を話し、カメラを愛用し、中国食よりも西洋料理に馴染んでいるいる十三姨は、黄飛鴻にとってもっとも身近な西洋である。その意味において、十三姨と黄飛鴻との間に恋愛感情が成立している以上、黄飛鴻は西洋と近代化を拒絶することは出来ないのだと言っていい。西洋を否定することは、十三姨を否定することになるからである。そして、黄飛鴻は、西洋文明の家庭教師たる十三姨を通して西洋文明を学び、伝統との間でバランスをとり、悩みながら近代化に臨んでゆくのである。

【参考文献】

  1. 佐伯有一『中国の歴史8 近代中国』(講談社 1975年)
  2. 知野二郎『香港功夫映画激闘史』(洋泉社 1990年)
  3. 浦川とめ『香港アクション風雲録』(キネマ旬報社 1999年)
  4. 『香港ムービーツアーガイド完全版』(BNN 1997年)
  5. 松田隆智『中国武術 少林拳と太極拳』(新人物往来社 1972年)
  6. 笠尾恭二『新版 少林拳決戦譜』(福昌堂 1999年)
  7. 陳墨『刀光侠影蒙太奇-中国武侠電影論』(中国電影出版社 1995年)
  8. 呉昊『香港電影民俗学』(次文化堂 1993年)
  9. TRASH&香港電影探偵団『超★級★無★敵 香港電影王』(未来出版 1997年)
  10. 羅・呉昊・卓伯棠『香港電影類型論』(牛津大学出版社 1997年)
  11. 葉洪生『論剣―武侠小説談芸録』(学林出版社 1997年)
  12. 「羊城晩報」電子版1997年12月20日【参考資料】
  13. 袁和平1978「醉拳(ドランク・モンキー酔拳)」
  14. 徐克1991「黄飛鴻(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ天地黎明)」
  15. 徐克1992「黄飛鴻之二男兒當自強(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナII天地大乱)」
  16. 徐克1993「黄飛鴻之三獅王爭霸(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナIII天地争霸)」

最後に、我が家にある《黄飛鴻》ものの一部をご紹介しよう。

TVシリーズ

「宝芝林」(1984)

主役は劉徳華演じる豬肉榮。

梁家仁「黄飛鴻系列之鉄胆梁寛」(1994)

主人公・梁寛は李克勤

釈小龍「少年黄飛鴻」(2003)

黄宗沢(ボスコ・ウォン)「我師傅係黄飛鴻」(2005)


姜大衛(デビッド・チャン)が黄麒英を演じている。

劉家輝「黄飛鴻与十三姨」(2005)

張晨光「黄飛鴻五大弟子」(2006)

徐克版「黄飛鴻」で梁寬、鬼脚七、豬肉榮を演じていた莫少聰(マックス・モク)、熊欣欣、鄭則仕(ケント・チェン)が、同じ役で出演。

張衛健(ディッキー・チョン)「仁者黄飛鴻」(2008)

映画

関徳興「黄飛鴻少林拳(スカイホーク鷹拳)」(1973)

銭嘉楽「黄飛鴻系列之一代宗師」(1992)

王群「黄飛鴻之男児当報国(ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地発狂)」(1993)

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