日別アーカイブ: 10月 2, 2013

【歳時記と落語】豆腐の日

10月2日は、語呂あわせで「豆腐の日」やそうです。夏は冷奴、冬は湯豆腐、まあ豆腐自体には特に季節というようなもんはありませんので、語呂あわせでも何でもええんでしょう。
豆腐というのは、中国から伝わったもんです。発明したのは前漢の淮南王・劉安という説がありますが、これは16世紀の『本草網目』に「豆腐之法,始於淮南王劉」とある記述を根拠としておるんですが、実際にはもっと後になってできたもんのようです。
日本に伝わった時期もはっきりしまへんが、少なくとも12世紀の末頃には、文献に「豆腐」の文字がみえることから、平安時代には入ってきていたらしい。しかしながら、豆腐が庶民の食べ物として浸透するのはなんというても江戸時代です。
 江戸時代というのは庶民が食を楽しむようになった時代です。『料理物語』など、数多くの料理書も出版されるようになりました。中でも、素材にこだわった料理書に《百珍物》と呼ばれるもんがあります。卵やったら卵料理ばっかり百種類載せてるんですな。その先駆けになったんが、天明2年(1782年)に刊行された『豆腐百珍』です。これはえらい評判やったらしく、続けて『豆腐百珍続編』『豆腐百珍余録』が出版されてます。
 豆腐の噺というと、「ちりとてちん(酢豆腐)」「田楽食い(ん廻し)」がありますが、これは前に紹介したんで、「甲府い」を。

ある豆腐屋の主人が、店に出てみると、店の者が若い男を殴りつけている。おからを盗んで食べたのだという。そのままで食うようなものでもないおからを盗んだというと、よほどの事情でもあるのだろうと、聞いてみますと、この男、名は善吉と言いまして、甲府の在の者。早くに両親を亡くして伯父夫婦に育ててもらいましたが、一廉のものになって恩返しがしたいと、身延山で願掛けをいたしまして、江戸へ出てまいりました。ところが、浅草寺で財布をすられて無一文になり、つい出来心で、おからを盗んでしまったのだという。
事情を聞いた店の主、境遇に同情し、また同じ法華宗、また店の若い衆が辞めないと行けないということもあって、住み込みで働かせてやることにいたします。
仕事はといいますと、豆腐の行商でございます。
まずは、売り立ての声を教えます。
「豆腐ぃ、ゴマ入り、がんもどき」
 それから三年間、陰日向なくまじめに働きます。愛想もいいし、声もいいというので、お客さんの評判も上々です。
 仕事ぶりに主も喜び、一人娘も年頃とあって、祝言をあげさせます。
 それから夫婦で仕事に励みまして、店はますます繁盛いたしまして、やがて年寄り夫婦は悠々隠居の身の上となります。
 そんな、ある日善吉は、伯父伯母への報告と身延山へのお礼参りを兼ねて、女房をつれて甲府へ里帰りすることにいたします。
 その様子を見た近所のもんが
 「どこまで行くんだい?」
と、聞きますと、善吉が、
「甲府ぃ。お参り、がんほどき」

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