【歳時記と落語】聖地巡礼

10月14日は「体育の日」でしたが、これは所謂「ハッピー・マンデー制度」による祝日の移動のおかげです。法律には「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」てな大層な趣旨が書かれていますが、要するに、1964年10月10日に開会した「東京オリンピック」を記念したもんです。
翌15日は、イスラム教の祝日「ハリラヤ・ハジ」です。この日は羊や山羊などの家畜を神への生贄として捧げることも行われますのんで、「犠牲祭」とも言われます。なんでそんなことをするのかといいますと、よっぽど昔の話ですが、預言者イブラヒームというお方が、息子・イスハークを生贄にしなければならない夢を見たんですな。イブラヒームは悩んだ挙句、その夢のお告げに従うこと、つまり息子を殺すことを決意します。イブラヒームがイスハークを殺そうとした瞬間、神がイブラヒームに羊を与え、イスハークの代わりの生贄をするように命じられたというんですな。
 なんやどっかで聞いた話やとお思いの方もあるやも知れませんな。キリスト教のアブラハムとイサクの話そのまんまなんですな。それもそのはず、ご存知の方も多いかも分かりませんが、イスラム教とキリスト教、それからユダヤ教は、いずれも同じ神を崇め、その神との契約に基づく信仰なんです。ですから、所謂「旧約聖書」は、それぞれ重みが違うとはいえ、この三つの宗教に共通の経典となっているんです。
 しかし、「ハリラヤ・ハジ」は文字通りには、「巡礼者の祝日」ということで、日本語で言いますと、「聖地巡礼祭」ということになります。イスラム教徒は、一生に一度は聖地に巡礼するという決まりがありまして、巡礼の付きも決まっております。「ハリラヤ・ハジ」はその最終日を祝う日なんですな。
 「聖地巡礼」というと、最近はやや意味合いの違ったサブカルチャー的な意味合いの方が有名になった感もありますが、昔から日本人は「聖地」をめぐってきました。イスラム教徒は異なりますが「巡礼」というのは行われたきました。日本の場合、それは「願掛け」というような側面が強いようにも思われますな。
 落語にも「巡礼」は登場します。
 さる大家の若旦那、歌舞伎が好きで、月に三日は休むというような役者よりも余計に小屋に出入りするようなありさまです。あるとき、珍しく若旦那が帳場へ坐って店番をしておりますと、そこへ巡礼の親子連れがやってまいりました。
すると、若旦那、
「見れば見るほど可愛らしい巡礼の子。して、国は?」
子供は正直なもんです。
「大和の郡山」
「なに、大和の郡山? そんな筈はない。阿波の鳴門じゃろう」
「いえ、大和の郡山」
「まだ言うか!」
若旦那、ゴンと子供を殴ります。子どもは泣く、親は怒る、当たり前ですな。親旦那が慌てて奥から出てきまして、何ぼか包んで謝りまして事なきを得ます。
 これ、若旦那は『傾城阿波の鳴門』の生き別れの母子の再開の場面のつもりなんですな。お弓の元に偶然尋ねてきた巡礼の女の子、これが実は生き別れの娘・お鶴。当然お鶴はお弓が母親とは知りません。そこの有名なセリフが「とと様の名は、阿波の十郎兵衛」。それで、芝居のつもりになっている若旦那は、芝居っ気なく応えられたんで怒ったんですな。
 このあとも、若旦那は芝居がかりで親旦那を怒らせてはヒト騒動起します。お馴染みの「七段目」です。
 しかし、実は「七段目」でも桂米團治などが演じる江戸型の《素噺系》ではこのくだりはありません。故・桂吉朝の系統がやっている、三味線や鳴り物がふんだんに入る上方の型である《音曲系》にしかありません。

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